イトスギ
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2015年02月26日
フキノトウとタラモコロッケ
庭を歩いていたら、いつの間にか大きく膨らんだフキノトウが顔を出していました。

散歩の途中には沈丁花の開花も見つけ、

春の近いことを確認しました。
早速、早春の味のほろ苦味を味わってみようと思ったのですが、フキノトウだけでは寂しいので、序にご近所の方から頂いた掘り起こしたばかりのおジャガで「変わりコロッケ」も作ってみることにしました。

お芋そのものが充分美味しかったので、その味を生かし、真ん中に具を入れて周りはお芋だけ・・・というコロッケを作ってみました。
ピンクは、「タラモサラダ」をヒントに、明太子を入れてみたものです。
挽肉はオイスターソースで味付けしてみました。
お芋のシンプルな味わいが何とも言えず、コロッケの原点を頂いた満足感がありました。
掘りたてのお芋の力はすごいですね!

散歩の途中には沈丁花の開花も見つけ、

春の近いことを確認しました。
早速、早春の味のほろ苦味を味わってみようと思ったのですが、フキノトウだけでは寂しいので、序にご近所の方から頂いた掘り起こしたばかりのおジャガで「変わりコロッケ」も作ってみることにしました。

お芋そのものが充分美味しかったので、その味を生かし、真ん中に具を入れて周りはお芋だけ・・・というコロッケを作ってみました。
ピンクは、「タラモサラダ」をヒントに、明太子を入れてみたものです。
挽肉はオイスターソースで味付けしてみました。
お芋のシンプルな味わいが何とも言えず、コロッケの原点を頂いた満足感がありました。
掘りたてのお芋の力はすごいですね!
2015年02月24日
ザゼンソウの群生地
群馬へ越してきて2年目に初めてザゼンソウに出会い、その可愛さに感激したのですが、その後毎年時期を失してしまい見ることが出来ませんでしたが、今年はしっかり待機して開花時期を待ち、出掛けてみました。

場所は、前橋市富士見の沼の窪市有林で、木道もすっかり新しく整備されていましたが、肝心のザゼンソウには少し早かったようです。

それでも木道周辺に丸っこい顔を覗かせている姿は何とも微笑ましいです。
ザゼンソウはサトイモ科の多年草で、花弁のない沢山の花が棒状になる「肉穂花序」を大きな仏炎苞で包む姿が僧侶の座禅する姿に似る所にその名の由来があります。
面白いことには、開花時に強い悪臭(?)を放って虫を誘うと共に発熱が起こるのだそうです。
前回、今回共雪が無かったので分かりませんが、ザゼンソウ周辺の氷雪が融け、いち早く開花することで少ない虫を独占し、受粉の確率を上げているのだそうです。ここにも植物の賢さが窺え感心してしまいます。
沼の窪市有林全体で2000~3000株、木道周辺に1000株の群生が見られるそうです。

微妙な色の変化、異なる形・・・地味ですが何とも味わい深い花です。
初めて訪れた時も驚いたのですが、ここでは今がロウバイの真っ盛りで、むせるような香りが辺りに漂っていました。

見頃は多分来週位ではないでしょうか?
花の見頃の予測は中々に難しいです。

場所は、前橋市富士見の沼の窪市有林で、木道もすっかり新しく整備されていましたが、肝心のザゼンソウには少し早かったようです。

それでも木道周辺に丸っこい顔を覗かせている姿は何とも微笑ましいです。
ザゼンソウはサトイモ科の多年草で、花弁のない沢山の花が棒状になる「肉穂花序」を大きな仏炎苞で包む姿が僧侶の座禅する姿に似る所にその名の由来があります。
面白いことには、開花時に強い悪臭(?)を放って虫を誘うと共に発熱が起こるのだそうです。
前回、今回共雪が無かったので分かりませんが、ザゼンソウ周辺の氷雪が融け、いち早く開花することで少ない虫を独占し、受粉の確率を上げているのだそうです。ここにも植物の賢さが窺え感心してしまいます。
沼の窪市有林全体で2000~3000株、木道周辺に1000株の群生が見られるそうです。

微妙な色の変化、異なる形・・・地味ですが何とも味わい深い花です。
初めて訪れた時も驚いたのですが、ここでは今がロウバイの真っ盛りで、むせるような香りが辺りに漂っていました。

見頃は多分来週位ではないでしょうか?
花の見頃の予測は中々に難しいです。
2015年02月21日
畑の耕作(耕運機)
今年は体調もあまり良くなかったこともあり、畑の準備が出来ず、春野菜は無理かな・・・と思っていたのですが、ご近所の方が耕運機で起こして下さることになりました。

小型の物なので手軽に起こせるのかと思いきや、ハンドルを取られそうになったり、かなり大変そうでしたが、毎年スコップで起こしていた身にとってはあっという間にフカフカの野菜のベッドが出来上がるのはマジックの様でした。

耕運機、欲しいな・・・と思っていたのですが、私では振り回されてしまい、使いこなせそうもありませんでした。
やはり「手掘り」で頑張るしかないかな~と思いつつ、掘り起こされた畑を眺めていました。

小型の物なので手軽に起こせるのかと思いきや、ハンドルを取られそうになったり、かなり大変そうでしたが、毎年スコップで起こしていた身にとってはあっという間にフカフカの野菜のベッドが出来上がるのはマジックの様でした。

耕運機、欲しいな・・・と思っていたのですが、私では振り回されてしまい、使いこなせそうもありませんでした。
やはり「手掘り」で頑張るしかないかな~と思いつつ、掘り起こされた畑を眺めていました。
タグ :小型耕運機
2015年02月18日
銀座散策
「茂田井武展」を楽しんだ後、近くの資生堂パーラーでティータイム。

美味しい紅茶でホッとした後、久し振りに友人と銀座をブラブラしました。
昔とすっかり様変わりで、嘗てお気に入りの店は殆どなくなってしまいましたが、歩いていると「こんなお店が・・・」と、新たな発見もあり、友人と、「やはり銀座はいいね!」になってしまいました。
有楽町駅周辺には日本各地のアンテナショップも多いですが(ぐんまちゃん家もあります)、駅前では路上での野菜の産直販売や骨董市で賑わっていました。

壺、着物、陶器、人形等々、お馴染みの品の他、こんな物も?というものまで、様々な品が並べられ、外国人もかなり多く見かけられました。

歩いていると、真っ赤な車に「違法駐車」のステッカーが貼られていて、道行く人の目を留めていました。

少し先にはこんなカッコイイ車も・・・

季節柄雛人形も見かけられましたが、少ない様でした。

ふとこんな可愛い人形が目に入り覗いてみると、画材屋さん「月光荘」でした。

画材道具、バック、紙、その他レターセット、葉書き等、他では見つけられない品々があり、とても楽しい買い物が出来ました。
帰りには「こんなところに!」という、スイスチョコレートの店を見つけ、更に嬉しくなりました。

「Lindt」は昔から好きだったチョコレートメーカーですが、店内は満員でした。
今でも人気があるのですね。
銀座散策を充分に楽しみました。

美味しい紅茶でホッとした後、久し振りに友人と銀座をブラブラしました。
昔とすっかり様変わりで、嘗てお気に入りの店は殆どなくなってしまいましたが、歩いていると「こんなお店が・・・」と、新たな発見もあり、友人と、「やはり銀座はいいね!」になってしまいました。
有楽町駅周辺には日本各地のアンテナショップも多いですが(ぐんまちゃん家もあります)、駅前では路上での野菜の産直販売や骨董市で賑わっていました。

壺、着物、陶器、人形等々、お馴染みの品の他、こんな物も?というものまで、様々な品が並べられ、外国人もかなり多く見かけられました。

歩いていると、真っ赤な車に「違法駐車」のステッカーが貼られていて、道行く人の目を留めていました。

少し先にはこんなカッコイイ車も・・・

季節柄雛人形も見かけられましたが、少ない様でした。

ふとこんな可愛い人形が目に入り覗いてみると、画材屋さん「月光荘」でした。

画材道具、バック、紙、その他レターセット、葉書き等、他では見つけられない品々があり、とても楽しい買い物が出来ました。
帰りには「こんなところに!」という、スイスチョコレートの店を見つけ、更に嬉しくなりました。

「Lindt」は昔から好きだったチョコレートメーカーですが、店内は満員でした。
今でも人気があるのですね。
銀座散策を充分に楽しみました。
2015年02月16日
銀座「ノエビアギャラリー」での「茂田井武展」
友人に誘われ、銀座のノエビア銀座本店ギャラリーでの「茂田井武展」<記憶の頁>へ出掛けました。

「茂田井武」は、1908~1956年、昭和時代に武井武雄等と共に活躍した童画家です。
日本橋の旅館に生まれ、中学卒業後絵画を学びますが、1930年、ハルピンからシベリア鉄道でパリへ渡り、働きながら独学で絵を書き続けました。この時代の作品は、「ton paris」という作品集に収められていますが、時にユーモアあり、色彩もオシャレでとても楽しい作品達です。
今回の展示でもこの作品集の展示があり、本も置かれていたのですが、一切撮影禁止とのことでした。
1933年に帰国後は様々な職業に就きながら挿絵を書き始め、1941年以降児童雑誌に挿絵を書き始めます。
1950~1955年には明治製菓宣伝部の嘱託となり広告画を描いていましたが、この頃から持病の気管支喘息が悪化、肺結核となりますが、絵は書き続けました。
私達にとっては「キンダーブック」での挿絵が馴染み深いですが、1954年、この作品に対し「小学館児童文化賞」を受けています。
1956年には病床で「セロ弾きのゴーシュ」絵本化のための挿絵を書き上げ、48才の生涯を閉じてしまいましたが、今だにこの絵本は高く評価されています。
彼の作品にはほのぼのとした暖かさとユーモアがあり、センスも抜群で、竹取物語等の日本の作品でも独自の世界を描き出しています。
ずっと忘れていた彼の作品世界に触れ、心豊かな気分になりました。
この展示会は ノエビア銀座本社ビル1F で3月27日(金)まで開催されていますが、2月21日は展示替えのため休館となります。
入場は無料です。

「茂田井武」は、1908~1956年、昭和時代に武井武雄等と共に活躍した童画家です。
日本橋の旅館に生まれ、中学卒業後絵画を学びますが、1930年、ハルピンからシベリア鉄道でパリへ渡り、働きながら独学で絵を書き続けました。この時代の作品は、「ton paris」という作品集に収められていますが、時にユーモアあり、色彩もオシャレでとても楽しい作品達です。
今回の展示でもこの作品集の展示があり、本も置かれていたのですが、一切撮影禁止とのことでした。
1933年に帰国後は様々な職業に就きながら挿絵を書き始め、1941年以降児童雑誌に挿絵を書き始めます。
1950~1955年には明治製菓宣伝部の嘱託となり広告画を描いていましたが、この頃から持病の気管支喘息が悪化、肺結核となりますが、絵は書き続けました。
私達にとっては「キンダーブック」での挿絵が馴染み深いですが、1954年、この作品に対し「小学館児童文化賞」を受けています。
1956年には病床で「セロ弾きのゴーシュ」絵本化のための挿絵を書き上げ、48才の生涯を閉じてしまいましたが、今だにこの絵本は高く評価されています。
彼の作品にはほのぼのとした暖かさとユーモアがあり、センスも抜群で、竹取物語等の日本の作品でも独自の世界を描き出しています。
ずっと忘れていた彼の作品世界に触れ、心豊かな気分になりました。
この展示会は ノエビア銀座本社ビル1F で3月27日(金)まで開催されていますが、2月21日は展示替えのため休館となります。
入場は無料です。
2015年02月11日
何処かで春が・・・
我が家ではここ数日、夜中にチョロチョロ水を出しておかないと水道が凍ってしまう程の寒さですが、先日お散歩していたら白梅も開花していました。

日溜まりでは・・・

霜柱の中から花々が顔を出し始めています。

新芽の息吹も力強く、遠くで春が生まれつつある気配が感じられます。

我が家の福寿草も賑やかさを増していますが、ご近所で見つけたのは・・・

巨大な岩の足元にちょこんと顔を出した福寿草です。
この岩は浅間からダンプで運んだそうで、迫力があります。
岩の上には五葉松、コケ等が植え付けられ、このお家の「顔」になっていました。

日溜まりでは・・・

霜柱の中から花々が顔を出し始めています。

新芽の息吹も力強く、遠くで春が生まれつつある気配が感じられます。

我が家の福寿草も賑やかさを増していますが、ご近所で見つけたのは・・・

巨大な岩の足元にちょこんと顔を出した福寿草です。
この岩は浅間からダンプで運んだそうで、迫力があります。
岩の上には五葉松、コケ等が植え付けられ、このお家の「顔」になっていました。
2015年02月09日
「謎の柑橘」でポン酢作り
ご近所の方から、「グレープフルーツだと思われる柑橘が、今年は沢山成ったので利用してほしい」との依頼を受け、取り敢えず頂いてきました。

10年程前にグレープフルーツの種を蒔いたことがあるので、多分そうだろう・・・とのことでしたが、香りも味も全く別物でした。
あまり個性的な香りも無く、思い切り酸っぱいのです。このままではとても食べられないので、ポン酢にすることにしました。

果汁を搾ってガーゼで漉し、酒、味醂、醤油、昆布、鰹節で炊いて再び漉して出来上がりです。

何時もは千鳥酢に柑橘系の搾り汁を混ぜたもので作るか、柚の搾り汁で作りますが、今回はどんな味になるのか見当がつきませんでした。
通常は、酒、味醂、昆布、カツオを煮立て、粗熱を取ってから、醤油、ポン酢の元を加えて漉ますが、今回は、酢がキツイのと保存の為、搾り汁を一度沸かして灰汁を取ってから合わせました。

これが出来上がりですが、何とも美しく澄んでいて、味わいも爽やかです。
個性が無いので癖のない穏やかな味に仕上がり、何にでも使えそうです。
頂いた方にもおすそ分け・・・と思ったのですが、最後までグレープフルーツだと信じていて、「グレープフルーツは高血圧の薬を飲んでいる人には良くない」そうで、一切ダメなのだそうです。我が家で使うことにしましたが、何せ大量に出来てしまったので、友人、知人にお分けすることにします。
ポン酢作りでは必ず福受品が出るので、これも一緒に処理してしまいました。

ポン酢を引いた後に出る昆布とカツオですが、酒、砂糖、唐辛子で炊いて「箸休め」にします。
ポン酢作りでは、あまりコトコト昆布もカツオも炊かないので、味が充分残っているため、利用しない手はありません。
香り豊かなお惣菜が出来上がりました。
それにしても、この柑橘が何故「グレープフルーツ」なのか不思議です。
因みに、今回のポン酢作りのレシピは、
酒 1600CC ポン酢元 800CC 醤油 800CC 昆布 40g カツオ80g(本来は60gなので少し多めです) 味醂 大1.5 でした。

10年程前にグレープフルーツの種を蒔いたことがあるので、多分そうだろう・・・とのことでしたが、香りも味も全く別物でした。
あまり個性的な香りも無く、思い切り酸っぱいのです。このままではとても食べられないので、ポン酢にすることにしました。

果汁を搾ってガーゼで漉し、酒、味醂、醤油、昆布、鰹節で炊いて再び漉して出来上がりです。

何時もは千鳥酢に柑橘系の搾り汁を混ぜたもので作るか、柚の搾り汁で作りますが、今回はどんな味になるのか見当がつきませんでした。
通常は、酒、味醂、昆布、カツオを煮立て、粗熱を取ってから、醤油、ポン酢の元を加えて漉ますが、今回は、酢がキツイのと保存の為、搾り汁を一度沸かして灰汁を取ってから合わせました。

これが出来上がりですが、何とも美しく澄んでいて、味わいも爽やかです。
個性が無いので癖のない穏やかな味に仕上がり、何にでも使えそうです。
頂いた方にもおすそ分け・・・と思ったのですが、最後までグレープフルーツだと信じていて、「グレープフルーツは高血圧の薬を飲んでいる人には良くない」そうで、一切ダメなのだそうです。我が家で使うことにしましたが、何せ大量に出来てしまったので、友人、知人にお分けすることにします。
ポン酢作りでは必ず福受品が出るので、これも一緒に処理してしまいました。

ポン酢を引いた後に出る昆布とカツオですが、酒、砂糖、唐辛子で炊いて「箸休め」にします。
ポン酢作りでは、あまりコトコト昆布もカツオも炊かないので、味が充分残っているため、利用しない手はありません。
香り豊かなお惣菜が出来上がりました。
それにしても、この柑橘が何故「グレープフルーツ」なのか不思議です。
因みに、今回のポン酢作りのレシピは、
酒 1600CC ポン酢元 800CC 醤油 800CC 昆布 40g カツオ80g(本来は60gなので少し多めです) 味醂 大1.5 でした。
タグ :ポン酢のレシピ
2015年01月31日
白カビチーズ「ブリア・サヴァラン」
今年初めて、高崎のチーズ専門店「モンテ・ドラーゴ」さんへ立ち寄り、ご主人お薦めのチーズを戴いてきました。

白カビタイプの「ブリア・サヴァラン」で、当然、有名な美食家の名に因んでいます。
牛乳に生クリームを加えて作るそうで、「トリプルクリーム」とも呼ばれ、脂肪分は75%です。
表面に綿の様な綺麗な白カビが生えているので、ブリヤ・サヴァランの「アフィネ」の様です。

外側は真っ白、断面はトロ~リとしたペースト状で、シャンパン、苺等との相性が良いそうなので、用意してみましたが、

そのままで充分美味しく、幸せな気分になりました。
濃厚なミルクの味わいと、僅かな酸味、軽い塩味、絶品です!
ブリア・サヴァランは、洋酒のたっぷりかかったケーキしか知らなかったので、序に彼について少し調べてみました。
生年は(1755~1826年)で、代々司法官の家系に生まれ、1789年のフランス大革命勃発後、立憲議会に代表として派遣され、その後民事裁判所長官、大審院判事となりますが、革命末期、穏健派とされる彼は王党派とみなされ、1793年、あわや処刑という所でスイスに亡命、後アメリカに渡り、1796年フランスへの帰国が許可され、総裁政府の元、駐独共和国参謀秘書、司令部の食卓係として進軍先でご馳走を調達する係となり、1800年、ナポレオンがエジプトから帰還すると再び大審院の判事となり、生涯を終えています。
彼がフランス革命と関わりが深かったことは初めて知りましたが、そんな中でも美食を追求し続けた事に彼の運命の様なものを感じました。
チーズの味わいも更に深まります。

白カビタイプの「ブリア・サヴァラン」で、当然、有名な美食家の名に因んでいます。
牛乳に生クリームを加えて作るそうで、「トリプルクリーム」とも呼ばれ、脂肪分は75%です。
表面に綿の様な綺麗な白カビが生えているので、ブリヤ・サヴァランの「アフィネ」の様です。

外側は真っ白、断面はトロ~リとしたペースト状で、シャンパン、苺等との相性が良いそうなので、用意してみましたが、

そのままで充分美味しく、幸せな気分になりました。
濃厚なミルクの味わいと、僅かな酸味、軽い塩味、絶品です!
ブリア・サヴァランは、洋酒のたっぷりかかったケーキしか知らなかったので、序に彼について少し調べてみました。
生年は(1755~1826年)で、代々司法官の家系に生まれ、1789年のフランス大革命勃発後、立憲議会に代表として派遣され、その後民事裁判所長官、大審院判事となりますが、革命末期、穏健派とされる彼は王党派とみなされ、1793年、あわや処刑という所でスイスに亡命、後アメリカに渡り、1796年フランスへの帰国が許可され、総裁政府の元、駐独共和国参謀秘書、司令部の食卓係として進軍先でご馳走を調達する係となり、1800年、ナポレオンがエジプトから帰還すると再び大審院の判事となり、生涯を終えています。
彼がフランス革命と関わりが深かったことは初めて知りましたが、そんな中でも美食を追求し続けた事に彼の運命の様なものを感じました。
チーズの味わいも更に深まります。
2015年01月29日
東国千年の都「石を使って3万年」展
上野国分寺跡を見学後、高崎シティーギャラリーで開催中の、石と私達の暮らしとの関わりをテーマとした展示会へ出掛けました。
石との関わりは遠く旧石器時代まで遡り、前橋・高崎では3万年前の石器群が出土していますが、石だけを集めた展示は極めて珍しいと思います。
先ずは道具としての使われ方ですが、複製品を見るとその精巧さに驚きます。

これは「石包丁」ですが、使いやすいように丁寧に形作られ、美しさまで感じてしまいます。
「美しい」といえば、

樹木伐採等に使われたのでしょうか?バランスもとれていて素晴らしいです。

こちらは「ナイフ」ですが、嵌め込まれた石器が破損又は外れると、その部分だけ石を補充して使用したそうで、とても良く考えられています。

これは縄文時代、堅果類を敲き潰すための石器と考えられ、極めて実用的です。

これは「こも編み」のための器具で、

その仕組みに感心してしまいました。

これは装飾用の石器で、縄文期の出土品だそうですが、見事に大きく立派な物でした。
石には装飾を超えた「魔除け」、「威信財」という意味もあったようで、石に込められた想いには日本人に普遍的な感性に通じるものがある様に思われます。

これは「子持ち勾玉」ですが、この造形には不思議な力を感じます。

こちらは石棺ですが、下部に模様を描いたものは極めて珍しく、上野国の有力者の権力の大きさが窺えます。
穴は盗掘の際にあけられたと考えられるそうです。
石を単なる「物」ではなく、命の宿るものといった捉え方が日本人の心の中にあるような、不思議な親しみを感じられた展示でした。
職員の方々の説明もとても丁寧で分かりやすかったです。
この展示は、残念ながら1月26日で終了しました。
石との関わりは遠く旧石器時代まで遡り、前橋・高崎では3万年前の石器群が出土していますが、石だけを集めた展示は極めて珍しいと思います。
先ずは道具としての使われ方ですが、複製品を見るとその精巧さに驚きます。

これは「石包丁」ですが、使いやすいように丁寧に形作られ、美しさまで感じてしまいます。
「美しい」といえば、

樹木伐採等に使われたのでしょうか?バランスもとれていて素晴らしいです。

こちらは「ナイフ」ですが、嵌め込まれた石器が破損又は外れると、その部分だけ石を補充して使用したそうで、とても良く考えられています。

これは縄文時代、堅果類を敲き潰すための石器と考えられ、極めて実用的です。

これは「こも編み」のための器具で、

その仕組みに感心してしまいました。

これは装飾用の石器で、縄文期の出土品だそうですが、見事に大きく立派な物でした。
石には装飾を超えた「魔除け」、「威信財」という意味もあったようで、石に込められた想いには日本人に普遍的な感性に通じるものがある様に思われます。

これは「子持ち勾玉」ですが、この造形には不思議な力を感じます。

こちらは石棺ですが、下部に模様を描いたものは極めて珍しく、上野国の有力者の権力の大きさが窺えます。
穴は盗掘の際にあけられたと考えられるそうです。
石を単なる「物」ではなく、命の宿るものといった捉え方が日本人の心の中にあるような、不思議な親しみを感じられた展示でした。
職員の方々の説明もとても丁寧で分かりやすかったです。
この展示は、残念ながら1月26日で終了しました。
2015年01月26日
上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)
先日、知人が来宅、一緒に「上野国分寺跡」を訪ねてみました。
場所は前橋の総社神社の近くで、周辺には大規模古墳群(保渡田古墳群、総社古墳群)や、豪族居館跡(三ツ寺1遺跡、北谷遺跡)等の他、古代の有力寺社(山王廃寺跡、総社神社)、中近世に地域の拠点となった城館跡(蒼海城跡、前橋城跡)等が分布する、上野国の政治・文化の中心地だった様です。
国分寺は国の支配を行う役所である国府の北西の地が選ばれますので、総社神社の西辺りが国府跡と推定されます。
周辺はすっかり整備され、駐車場も完備していて、丁寧な案内板も設置されていました。

橋を渡ると、

左手に八角屋根のガイダンス施設があり、

先ずここで解説ビデオを見たり、事前に少し情報を得ておくことにしました。
ビデオは解りやすく、館内の展示も丁寧で、実際に触れることも嬉しかったです。

沢山出土している「瓦」には、

製作者や地域名が彫られていて、何処から運ばれたかがわかります。
上野国分寺の創建は、天平勝宝元年(749年)とされ、奈良時代の史書「続日本紀」に碓氷郡の豪族が上野国分二寺造営への協力に対して報償されたことが記載されています。
寺跡の規模は東西220m、南北235mに及び、基壇と礎石の一部が残っていた塔と金堂の正確な規模の他、講堂や南大門、築垣等の痕跡を残す遺構も確認されたそうです。

こちらが復元された「七重塔」で、心柱以外、中は空洞になっているそうです。
職員の方が丁寧に説明して下さいました。
その中で、説明版、復元模型にある「金堂」と見られていた建物は、昨年夏、この建物より中門に近い場所に新たな礎石が発掘されたため今夏更に詳しく調査され、伽藍配置も変化する可能性があるそうです。

こちらが「金堂」跡とされていた基壇です。
小さめの石の並びは仏像が安置されていた場所と考えられています。

これが七重塔の基壇で、その大きさに圧倒されます。
面白かったのは「築垣」の復元で、古代と同じ、棒でつき固めて土を積み上げる「版築工法」で造ったそうです。東日本では初めての本格的な復元だそうですが、一般の方も参加できるそうです。今夏も募集があるそうで、何だか面白そう・・・。

上野国分寺は、東大寺を除く全国の国分寺の中でも最も規模の大きいものだそうで、嘗ての上野国の繁栄振りが窺えます。
群馬の歴史はまだまだ知らないことだらけで、興味深いです。
場所は前橋の総社神社の近くで、周辺には大規模古墳群(保渡田古墳群、総社古墳群)や、豪族居館跡(三ツ寺1遺跡、北谷遺跡)等の他、古代の有力寺社(山王廃寺跡、総社神社)、中近世に地域の拠点となった城館跡(蒼海城跡、前橋城跡)等が分布する、上野国の政治・文化の中心地だった様です。
国分寺は国の支配を行う役所である国府の北西の地が選ばれますので、総社神社の西辺りが国府跡と推定されます。
周辺はすっかり整備され、駐車場も完備していて、丁寧な案内板も設置されていました。

橋を渡ると、

左手に八角屋根のガイダンス施設があり、

先ずここで解説ビデオを見たり、事前に少し情報を得ておくことにしました。
ビデオは解りやすく、館内の展示も丁寧で、実際に触れることも嬉しかったです。

沢山出土している「瓦」には、

製作者や地域名が彫られていて、何処から運ばれたかがわかります。
上野国分寺の創建は、天平勝宝元年(749年)とされ、奈良時代の史書「続日本紀」に碓氷郡の豪族が上野国分二寺造営への協力に対して報償されたことが記載されています。
寺跡の規模は東西220m、南北235mに及び、基壇と礎石の一部が残っていた塔と金堂の正確な規模の他、講堂や南大門、築垣等の痕跡を残す遺構も確認されたそうです。

こちらが復元された「七重塔」で、心柱以外、中は空洞になっているそうです。
職員の方が丁寧に説明して下さいました。
その中で、説明版、復元模型にある「金堂」と見られていた建物は、昨年夏、この建物より中門に近い場所に新たな礎石が発掘されたため今夏更に詳しく調査され、伽藍配置も変化する可能性があるそうです。

こちらが「金堂」跡とされていた基壇です。
小さめの石の並びは仏像が安置されていた場所と考えられています。

これが七重塔の基壇で、その大きさに圧倒されます。
面白かったのは「築垣」の復元で、古代と同じ、棒でつき固めて土を積み上げる「版築工法」で造ったそうです。東日本では初めての本格的な復元だそうですが、一般の方も参加できるそうです。今夏も募集があるそうで、何だか面白そう・・・。

上野国分寺は、東大寺を除く全国の国分寺の中でも最も規模の大きいものだそうで、嘗ての上野国の繁栄振りが窺えます。
群馬の歴史はまだまだ知らないことだらけで、興味深いです。
2015年01月19日
「ポーリッシュポタリー」展
お正月の地方版に高崎の「JYAMCOVER」さんで「ポーリッシュポタリー」の展示即売会の記事が載っていたので、友人と出掛けてみました。

このお店には4,5年前、ジャム屋さんと間違えて訪ね、可愛い雑貨を見つけて何度か通ったことがありました。
久し振りに訪れた店の前にはこんな素敵なガーデンライトがあり、

すっかり様変わりしていました。
今回はポーランドの陶器という事で、店内は明るい色彩で溢れていましたが、

思い掛けず、ムーミングッズを沢山見つけて大興奮でした。

特にクッキー型は、北欧で探しても見つけられなかった物でしたので、とても嬉しかったです。
今後も入荷するそうなので楽しみです。
帰路、何度か訪れている上並榎のレストラン「エスト」に立ち寄った所、駐車場の壁面にこんな飾りが施されていました。

今まで無かった様に思うのですが、ちょっとオシャレに変身していて嬉しくなりました。

このお店には4,5年前、ジャム屋さんと間違えて訪ね、可愛い雑貨を見つけて何度か通ったことがありました。
久し振りに訪れた店の前にはこんな素敵なガーデンライトがあり、

すっかり様変わりしていました。
今回はポーランドの陶器という事で、店内は明るい色彩で溢れていましたが、

思い掛けず、ムーミングッズを沢山見つけて大興奮でした。

特にクッキー型は、北欧で探しても見つけられなかった物でしたので、とても嬉しかったです。
今後も入荷するそうなので楽しみです。
帰路、何度か訪れている上並榎のレストラン「エスト」に立ち寄った所、駐車場の壁面にこんな飾りが施されていました。

今まで無かった様に思うのですが、ちょっとオシャレに変身していて嬉しくなりました。
2015年01月17日
「仁阿弥道八展」
東京に用事が出来たので早めに出て、サントリー美術館での「仁阿弥道八」展へ足を運んでみました。

道八の実物作品を見るのは初めてでしたが、意外にこれまでもまとめて作品が公開される機会は少なかったそうです。
仁阿弥道八(1783~1855)は京都の陶工、高橋道八家の二代目で、清水五条坂を拠点に活躍した江戸後期の京焼きの名工で、茶席では現在でも高い人気だそうです。茶道具から懐石具、置物等、彫塑的に優れた作品を多数残しています。
茶道具では特に狸の炉蓋が有名ですが、他にも様々な動物(山羊、兎等)の炉蓋が作られています。静かな茶室にこの炉蓋が置かれている状況を想像すると何とも言えない可笑しみが感じられます。茶室を覗いた人は思わず微笑んでしまい、更に、細部まで丁寧に作られていることにも驚きを覚えることと思います。
彼の作品には、技の精巧さ、観察眼の鋭さ、それと何といってもユーモアの精神が観る者を感心させるだけでなくほっこりした気分にさせてくれます。
そんな一つがポスターにもある小猿の置物です。

鑑賞しながら、いつの間にか顔が綻んでいるのに気付きます。
小猿の足は裏側に折り曲げられ丁寧に造形されている上、お尻の部分もピンク色に可愛らしく作られています。
こんな作品を江戸時代末期に作り出した仁阿弥道八にすっかり惹きつけられてしまいました。
茶道具の「写し」の巧さ、懐石具の美しさ、どの作品も素晴らしく、心豊かな気分になりました。
貴重な道八の作品展ですが、3月1日までの企画展だそうです。

道八の実物作品を見るのは初めてでしたが、意外にこれまでもまとめて作品が公開される機会は少なかったそうです。
仁阿弥道八(1783~1855)は京都の陶工、高橋道八家の二代目で、清水五条坂を拠点に活躍した江戸後期の京焼きの名工で、茶席では現在でも高い人気だそうです。茶道具から懐石具、置物等、彫塑的に優れた作品を多数残しています。
茶道具では特に狸の炉蓋が有名ですが、他にも様々な動物(山羊、兎等)の炉蓋が作られています。静かな茶室にこの炉蓋が置かれている状況を想像すると何とも言えない可笑しみが感じられます。茶室を覗いた人は思わず微笑んでしまい、更に、細部まで丁寧に作られていることにも驚きを覚えることと思います。
彼の作品には、技の精巧さ、観察眼の鋭さ、それと何といってもユーモアの精神が観る者を感心させるだけでなくほっこりした気分にさせてくれます。
そんな一つがポスターにもある小猿の置物です。

鑑賞しながら、いつの間にか顔が綻んでいるのに気付きます。
小猿の足は裏側に折り曲げられ丁寧に造形されている上、お尻の部分もピンク色に可愛らしく作られています。
こんな作品を江戸時代末期に作り出した仁阿弥道八にすっかり惹きつけられてしまいました。
茶道具の「写し」の巧さ、懐石具の美しさ、どの作品も素晴らしく、心豊かな気分になりました。
貴重な道八の作品展ですが、3月1日までの企画展だそうです。
2015年01月16日
大根は何故凍らないの?
辺り一面霜柱だらけで、昨日はうっすらと雪も降り積もった庭では、我が家の「自家栽培?」の大根はこんなに地面から飛び出しているのに凍っていません。

実はこれ、種がこぼれて勝手に出てきた大根ですが、一応大根として食べられます。
それにしても寒そうです。
大根、キャベツ、白菜、ほうれん草・・・と、冬野菜は皆甘さが増すのは知っていましたが、野菜が凍らないのは何故なのかあまり考えたことがありませんでした。
これからの時期寒さが更に厳しくなると、流石に霜げてきますが、今の時期はしっかり頑張っています。
その訳が「野菜の知恵?」(糖分を増やす事)にあるのだそうです。
普通の水なら凝固点は0℃ですが水に砂糖等の物質が溶けると凍る温度が下がります。(凝固点降下)
要するに、葉や根に含まれる水の中に多くの糖分が溶け込めば溶け込む程、葉や根は凍りにくくなります。
そういう訳で冬野菜は甘くなっていて、その「知恵?」を私達は美味しく戴いていたわけで、野菜への感謝が更に深まりました。
今日は我が家のチビ大根を煮て、感謝を込めて美味しくいただくことにします。

実はこれ、種がこぼれて勝手に出てきた大根ですが、一応大根として食べられます。
それにしても寒そうです。
大根、キャベツ、白菜、ほうれん草・・・と、冬野菜は皆甘さが増すのは知っていましたが、野菜が凍らないのは何故なのかあまり考えたことがありませんでした。
これからの時期寒さが更に厳しくなると、流石に霜げてきますが、今の時期はしっかり頑張っています。
その訳が「野菜の知恵?」(糖分を増やす事)にあるのだそうです。
普通の水なら凝固点は0℃ですが水に砂糖等の物質が溶けると凍る温度が下がります。(凝固点降下)
要するに、葉や根に含まれる水の中に多くの糖分が溶け込めば溶け込む程、葉や根は凍りにくくなります。
そういう訳で冬野菜は甘くなっていて、その「知恵?」を私達は美味しく戴いていたわけで、野菜への感謝が更に深まりました。
今日は我が家のチビ大根を煮て、感謝を込めて美味しくいただくことにします。
2015年01月14日
福寿草の開花
今日、庭を歩いていたら黄色が目に入り、立ち止まって見てみると、

福寿草が一輪咲いていました。
他にも開花しているのでは・・・と探してみましたが、開花していたのはこれだけで、後は皆、蕾が膨らんでいる程度でした。
何となく心に灯火が灯ったようで、ほんのり暖かさを感じました。
この寒空に、健気に咲いて、春の訪れを予感させてくれるようです。
ふと横を見ると、昨年暮れに工事で掘り起こされてしまったらしい福寿草が塊のまま芽吹いていました。

慌てて土を掘って埋めてあげましたが、あの工事で庭の植物はかなりのダメージを受けているようで、水仙も今年はめっきり花数が少なく、寂しい限りです。
春に向けて、少しづつ花々の手入れをしていかなくては・・・と思っています。

福寿草が一輪咲いていました。
他にも開花しているのでは・・・と探してみましたが、開花していたのはこれだけで、後は皆、蕾が膨らんでいる程度でした。
何となく心に灯火が灯ったようで、ほんのり暖かさを感じました。
この寒空に、健気に咲いて、春の訪れを予感させてくれるようです。
ふと横を見ると、昨年暮れに工事で掘り起こされてしまったらしい福寿草が塊のまま芽吹いていました。

慌てて土を掘って埋めてあげましたが、あの工事で庭の植物はかなりのダメージを受けているようで、水仙も今年はめっきり花数が少なく、寂しい限りです。
春に向けて、少しづつ花々の手入れをしていかなくては・・・と思っています。
タグ :福寿草
2015年01月12日
どんど焼き
昨日、地域のどんど焼きがあり参加しましたが、毎年少しづつ変化しているように感じました。

第一には子供達の減少です。
子供育成会の方の説明にもありましたが、この地域では現在15名だそうで、今回点火できる「年男・年女」は3名だけでした。
でも、子供達は辺りを走り回り元気一杯です。
点火前に全員集合してちょっとすまし顔。

点火されると火は一気に燃え上がり、

一瞬で炎は空へ向かって立ち登ります。

この瞬間は何度見ても感動します。
この地域の小屋は12~13mと、この辺りでは最も大きいそうです。

あっという間に小屋は崩れ初め、

「焚き火」となりました。
今回、小屋は横に倒れることなく、ほぼ真っ直ぐに崩れ落ちました。
それ故、何時もは消防団の方々が直ぐに散らばった竹を集めたり手を入れ始めるのですが、今回は殆ど放置状態でした。
今回の小屋の中には、昨年末切り倒した我が家の樫の木の枝が入れられたそうなので感慨深いです。
真っ直ぐ下に崩れ落ちたのもそのせい・・・等と勝手に思ったりしました。
ここからは繭玉焼きの出番で、

まだ火力が強くてかなり熱いので、お父さん達が一生懸命お餅を焼いている姿が印象的でした。
今回気付いたのは、どんど焼きが少し地味になった事です。
小屋の高さも昨年より低めでしたし、飾りも少なくなっていました。
そう言えば、お正月に散歩に出た折、お飾りをしていない家を沢山見つけました。
昨年までは普通に見られたお飾りですが、飾ってある家は僅かでした。
この地域だけの現象なのかよくわかりませんが、どんど焼きの地味さと相俟って少し気になりました。
でも、今回の小屋の燃え具合は最高で、良い年になる事を祈りたいと思います。

第一には子供達の減少です。
子供育成会の方の説明にもありましたが、この地域では現在15名だそうで、今回点火できる「年男・年女」は3名だけでした。
でも、子供達は辺りを走り回り元気一杯です。
点火前に全員集合してちょっとすまし顔。

点火されると火は一気に燃え上がり、

一瞬で炎は空へ向かって立ち登ります。

この瞬間は何度見ても感動します。
この地域の小屋は12~13mと、この辺りでは最も大きいそうです。

あっという間に小屋は崩れ初め、

「焚き火」となりました。
今回、小屋は横に倒れることなく、ほぼ真っ直ぐに崩れ落ちました。
それ故、何時もは消防団の方々が直ぐに散らばった竹を集めたり手を入れ始めるのですが、今回は殆ど放置状態でした。
今回の小屋の中には、昨年末切り倒した我が家の樫の木の枝が入れられたそうなので感慨深いです。
真っ直ぐ下に崩れ落ちたのもそのせい・・・等と勝手に思ったりしました。
ここからは繭玉焼きの出番で、

まだ火力が強くてかなり熱いので、お父さん達が一生懸命お餅を焼いている姿が印象的でした。
今回気付いたのは、どんど焼きが少し地味になった事です。
小屋の高さも昨年より低めでしたし、飾りも少なくなっていました。
そう言えば、お正月に散歩に出た折、お飾りをしていない家を沢山見つけました。
昨年までは普通に見られたお飾りですが、飾ってある家は僅かでした。
この地域だけの現象なのかよくわかりませんが、どんど焼きの地味さと相俟って少し気になりました。
でも、今回の小屋の燃え具合は最高で、良い年になる事を祈りたいと思います。
タグ :12~13mの小屋
2015年01月10日
漬物でリメイク料理
年末、知人が山形の田舎から送られてきたという漬物を沢山持ってきて下さいました。
ご家族は皆さんあまり召し上がらないそうで、我が家に回ってきたのですが、とても丁寧に作られている上味も良いので、発想を切り替えて「調味料」として使ってみることにしました。

左上は沢庵ですが、皮無しのさっぱり味、時計回りに高菜漬け、右上は大根葉、人参、シソの実、ニガウリ等、下段左は、きゅうり、小ナス、キク花、ワラビ、しょうが等、右は大根、小ナス、みょうが、しょうが等で、見える範囲だけでもこれだけ入っています。
今日は左下の蕨入りで「漬物ドリア」、高菜とロースハム(お正月の残り)でスープ、右上の大根葉とこれもお正月の残りの数の子で和物を作りました。

ドリアには塩コショウしたタラの切り身のソテー、しめじ、玉葱、ニンニクが入っていますが、味付けは漬物のみです。
ここでは漬物の塩抜きをせず、細かく刻んで混ぜ込み、胡椒を混ぜ、パルミジャーノをのせてオーブンで焼いただけです。
好みでタバスコを振ります。
スープは、ロースハムを微塵切りにして中華スープ少々を溶いた鍋へ入れ沸かして、高菜の粗微塵を入れ出来上がりです。

高菜はかなり塩味がきつかったので、微塵切りにしてからサッと水に放ち塩抜きしましたが、高菜の香りはきちんと残っていました。
最後は大根葉と数の子和えですが、この漬物はあまり塩抜きすると味が抜けてしまう様なので、サッと水を潜らせてから数の子の塩味をキツめに抜いてワサビを加えて和えてみました。

食感も良く、爽やかな味わいでした。
田舎のお漬物は味わい深く、色々試してみたくなりました。
ご家族は皆さんあまり召し上がらないそうで、我が家に回ってきたのですが、とても丁寧に作られている上味も良いので、発想を切り替えて「調味料」として使ってみることにしました。

左上は沢庵ですが、皮無しのさっぱり味、時計回りに高菜漬け、右上は大根葉、人参、シソの実、ニガウリ等、下段左は、きゅうり、小ナス、キク花、ワラビ、しょうが等、右は大根、小ナス、みょうが、しょうが等で、見える範囲だけでもこれだけ入っています。
今日は左下の蕨入りで「漬物ドリア」、高菜とロースハム(お正月の残り)でスープ、右上の大根葉とこれもお正月の残りの数の子で和物を作りました。

ドリアには塩コショウしたタラの切り身のソテー、しめじ、玉葱、ニンニクが入っていますが、味付けは漬物のみです。
ここでは漬物の塩抜きをせず、細かく刻んで混ぜ込み、胡椒を混ぜ、パルミジャーノをのせてオーブンで焼いただけです。
好みでタバスコを振ります。
スープは、ロースハムを微塵切りにして中華スープ少々を溶いた鍋へ入れ沸かして、高菜の粗微塵を入れ出来上がりです。

高菜はかなり塩味がきつかったので、微塵切りにしてからサッと水に放ち塩抜きしましたが、高菜の香りはきちんと残っていました。
最後は大根葉と数の子和えですが、この漬物はあまり塩抜きすると味が抜けてしまう様なので、サッと水を潜らせてから数の子の塩味をキツめに抜いてワサビを加えて和えてみました。

食感も良く、爽やかな味わいでした。
田舎のお漬物は味わい深く、色々試してみたくなりました。
2015年01月08日
屠蘇散
年が明けて一週間、もう「屠蘇散」の時期は過ぎてしまいましたが、何となく気になって、今更ながら「お屠蘇」を作ってみました。
きっかけは、年末に醤油、お酒、千鳥酢と一緒に三河味醂を頼んだところ、前田薬草店の「屠蘇散」が添えられていたことです。

かなり昔、屠蘇散を薬局で購入、お正月に頂いたところ、とても飲めなかったことがあり、それ以後ずっと敬遠していました。
今回は三河みりんさんということもあり、再度挑戦してみました。
屠蘇散の由来は

ということで、一年の邪気を祓い、延命長寿を願うという、中国唐時代に始まる行事で、日本へは9世紀、桓武天皇の時代に宮中の元旦行事として受け入れられ、その後庶民へと広まっていったそうです。
「屠蘇」とは鬼気を屠(はふり)魂を蘇生するといった意味もあるそうです。
配合されている薬草は、
茴香(ういきょう) 健胃・去痰
陳皮 健胃
桂皮 発汗・解熱
桔梗 去痰
白求(びゃくじゅつ)温性利尿
防風 発汗・解熱
甘草(かんぞう) 鎮痛・鎖咳去痰
紅花(こうか) 浄血・通径
山椒 利尿
以上9種です。(前田薬草店)
以前の苦い経験から、味醂と清酒半々にし、浸す時間も短めにしてみました。

意外に飲みやすく(三河みりんがそのまま飲める味醂なので)、屠蘇散のイメージを変えられました。
今年は何か良いことがありそうな年初めになりました。
きっかけは、年末に醤油、お酒、千鳥酢と一緒に三河味醂を頼んだところ、前田薬草店の「屠蘇散」が添えられていたことです。

かなり昔、屠蘇散を薬局で購入、お正月に頂いたところ、とても飲めなかったことがあり、それ以後ずっと敬遠していました。
今回は三河みりんさんということもあり、再度挑戦してみました。
屠蘇散の由来は

ということで、一年の邪気を祓い、延命長寿を願うという、中国唐時代に始まる行事で、日本へは9世紀、桓武天皇の時代に宮中の元旦行事として受け入れられ、その後庶民へと広まっていったそうです。
「屠蘇」とは鬼気を屠(はふり)魂を蘇生するといった意味もあるそうです。
配合されている薬草は、
茴香(ういきょう) 健胃・去痰
陳皮 健胃
桂皮 発汗・解熱
桔梗 去痰
白求(びゃくじゅつ)温性利尿
防風 発汗・解熱
甘草(かんぞう) 鎮痛・鎖咳去痰
紅花(こうか) 浄血・通径
山椒 利尿
以上9種です。(前田薬草店)
以前の苦い経験から、味醂と清酒半々にし、浸す時間も短めにしてみました。

意外に飲みやすく(三河みりんがそのまま飲める味醂なので)、屠蘇散のイメージを変えられました。
今年は何か良いことがありそうな年初めになりました。
2015年01月01日
あけましておめでとうございます
昨年は私の拙いブログにお付き合い頂きありがとうございました。
今年も身の廻りで出会った事等を細やかに書いてゆこうと思っていますので、お付き合い宜しくお願い致します。
我が家は、家の外も内もロウバイだらけで新年を迎えました。

外から部屋に入るとロウバイの香りに迎えられ、何とも幸せ気分です。

山中の塗師、八木繁さんの花器と折敷に入れてみましたが、何時もながらこれだけでお正月の華やかさが醸されます。
昨年は悲しい出来事が沢山あり心痛めましたが、今年は穏やかな年であることを願っています。
今年も身の廻りで出会った事等を細やかに書いてゆこうと思っていますので、お付き合い宜しくお願い致します。
我が家は、家の外も内もロウバイだらけで新年を迎えました。

外から部屋に入るとロウバイの香りに迎えられ、何とも幸せ気分です。

山中の塗師、八木繁さんの花器と折敷に入れてみましたが、何時もながらこれだけでお正月の華やかさが醸されます。
昨年は悲しい出来事が沢山あり心痛めましたが、今年は穏やかな年であることを願っています。
2014年12月30日
シジミのスープスパゲティー
以前から、アサリのスパゲティーは一般的なのに何故シジミのスパゲティーがないのか不思議でした。
シジミの産地へ往けばあるのかもしれませんが、今まで行ったレストランでは見かけたことがありませんでした。
そこで、つい作ってみたくなるのが私の癖で、先日大粒シジミを見つけたので早速作ってみました。

シジミは丁寧に砂出しし、酒炒りして身を取り出しておきます。(口を開け始めたら蓋をして火を止め、暫く置くと加熱し過ぎを防げます)
出てきたスープに昆布出汁を加え、塩・コショウで味を整えておきます。
ニンニク微塵切り、玉葱微塵切りを炒め、ここへスープを加えて温め、身を戻し入れます。
これを少し固めに茹でたスパゲティーにかけ、生ハムをのせ、パセリを振り出来上がりです。
シジミには生ハムが合う様で、とても美味しく仕上がりました。
因みにアサリはベーコンとの相性が良いようで、序にアサリとベーコンでもスープスパゲティーを作ってみました。

二種作ってみての感想ですが、シジミのスパゲティーが一般的でないのは、やはり身を剥く手間ではないかと思いました。
大粒といってもアサリに比べればその手間は倍以上かかるので敬遠されるのでは・・・と思います。
でも味は絶品なので、是非一度お試しください。
シジミの産地へ往けばあるのかもしれませんが、今まで行ったレストランでは見かけたことがありませんでした。
そこで、つい作ってみたくなるのが私の癖で、先日大粒シジミを見つけたので早速作ってみました。

シジミは丁寧に砂出しし、酒炒りして身を取り出しておきます。(口を開け始めたら蓋をして火を止め、暫く置くと加熱し過ぎを防げます)
出てきたスープに昆布出汁を加え、塩・コショウで味を整えておきます。
ニンニク微塵切り、玉葱微塵切りを炒め、ここへスープを加えて温め、身を戻し入れます。
これを少し固めに茹でたスパゲティーにかけ、生ハムをのせ、パセリを振り出来上がりです。
シジミには生ハムが合う様で、とても美味しく仕上がりました。
因みにアサリはベーコンとの相性が良いようで、序にアサリとベーコンでもスープスパゲティーを作ってみました。

二種作ってみての感想ですが、シジミのスパゲティーが一般的でないのは、やはり身を剥く手間ではないかと思いました。
大粒といってもアサリに比べればその手間は倍以上かかるので敬遠されるのでは・・・と思います。
でも味は絶品なので、是非一度お試しください。
2014年12月28日
梅一輪と崇台山散策
今日は群馬特有の強風も吹かず、穏やかに晴れていたので久し振りに、群馬百名山の一つ崇台山へ登ってみることにしました。
我が家からはほんの20~30分で登れる距離にあります。
庭に出てみると、この寒さの中、梅が一輪咲いていました。

ここ数年、年内に梅の開花は見られませんでしたので、何だか嬉しくなりました。
崇台山は299mと、とても身近な山で、何時出かけても山頂で人に出会いますが、流石に年末、のんびり山歩きしているのは私の他見当たりませんでした。落ち葉がかなり積り、少し滑りやすいのが難点でしたが、、霜柱をサクサク踏みながら歩くのは何とも心地よいものです。

山頂からは雪を戴く武尊が美しく、浅間も真っ白な姿を青空にくっきり浮かび上がらせ、爽やかな気分になりました。
今年も残り数日。穏やかな年末を過ごせますように。
我が家からはほんの20~30分で登れる距離にあります。
庭に出てみると、この寒さの中、梅が一輪咲いていました。

ここ数年、年内に梅の開花は見られませんでしたので、何だか嬉しくなりました。
崇台山は299mと、とても身近な山で、何時出かけても山頂で人に出会いますが、流石に年末、のんびり山歩きしているのは私の他見当たりませんでした。落ち葉がかなり積り、少し滑りやすいのが難点でしたが、、霜柱をサクサク踏みながら歩くのは何とも心地よいものです。

山頂からは雪を戴く武尊が美しく、浅間も真っ白な姿を青空にくっきり浮かび上がらせ、爽やかな気分になりました。
今年も残り数日。穏やかな年末を過ごせますように。