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2015年01月26日

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

先日、知人が来宅、一緒に「上野国分寺跡」を訪ねてみました。

場所は前橋の総社神社の近くで、周辺には大規模古墳群(保渡田古墳群、総社古墳群)や、豪族居館跡(三ツ寺1遺跡、北谷遺跡)等の他、古代の有力寺社(山王廃寺跡、総社神社)、中近世に地域の拠点となった城館跡(蒼海城跡、前橋城跡)等が分布する、上野国の政治・文化の中心地だった様です。
国分寺は国の支配を行う役所である国府の北西の地が選ばれますので、総社神社の西辺りが国府跡と推定されます。

周辺はすっかり整備され、駐車場も完備していて、丁寧な案内板も設置されていました。

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

橋を渡ると、

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

左手に八角屋根のガイダンス施設があり、

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

先ずここで解説ビデオを見たり、事前に少し情報を得ておくことにしました。

ビデオは解りやすく、館内の展示も丁寧で、実際に触れることも嬉しかったです。

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

沢山出土している「瓦」には、

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

製作者や地域名が彫られていて、何処から運ばれたかがわかります。

上野国分寺の創建は、天平勝宝元年(749年)とされ、奈良時代の史書「続日本紀」に碓氷郡の豪族が上野国分二寺造営への協力に対して報償されたことが記載されています。

寺跡の規模は東西220m、南北235mに及び、基壇と礎石の一部が残っていた塔と金堂の正確な規模の他、講堂や南大門、築垣等の痕跡を残す遺構も確認されたそうです。

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

こちらが復元された「七重塔」で、心柱以外、中は空洞になっているそうです。

職員の方が丁寧に説明して下さいました。
その中で、説明版、復元模型にある「金堂」と見られていた建物は、昨年夏、この建物より中門に近い場所に新たな礎石が発掘されたため今夏更に詳しく調査され、伽藍配置も変化する可能性があるそうです。

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

こちらが「金堂」跡とされていた基壇です。
小さめの石の並びは仏像が安置されていた場所と考えられています。

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

これが七重塔の基壇で、その大きさに圧倒されます。

面白かったのは「築垣」の復元で、古代と同じ、棒でつき固めて土を積み上げる「版築工法」で造ったそうです。東日本では初めての本格的な復元だそうですが、一般の方も参加できるそうです。今夏も募集があるそうで、何だか面白そう・・・。

上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)


上野国分寺は、東大寺を除く全国の国分寺の中でも最も規模の大きいものだそうで、嘗ての上野国の繁栄振りが窺えます。

群馬の歴史はまだまだ知らないことだらけで、興味深いです。



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Posted by ruriri at 19:11│Comments(0)日記
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