2015年02月16日
銀座「ノエビアギャラリー」での「茂田井武展」
友人に誘われ、銀座のノエビア銀座本店ギャラリーでの「茂田井武展」<記憶の頁>へ出掛けました。

「茂田井武」は、1908~1956年、昭和時代に武井武雄等と共に活躍した童画家です。
日本橋の旅館に生まれ、中学卒業後絵画を学びますが、1930年、ハルピンからシベリア鉄道でパリへ渡り、働きながら独学で絵を書き続けました。この時代の作品は、「ton paris」という作品集に収められていますが、時にユーモアあり、色彩もオシャレでとても楽しい作品達です。
今回の展示でもこの作品集の展示があり、本も置かれていたのですが、一切撮影禁止とのことでした。
1933年に帰国後は様々な職業に就きながら挿絵を書き始め、1941年以降児童雑誌に挿絵を書き始めます。
1950~1955年には明治製菓宣伝部の嘱託となり広告画を描いていましたが、この頃から持病の気管支喘息が悪化、肺結核となりますが、絵は書き続けました。
私達にとっては「キンダーブック」での挿絵が馴染み深いですが、1954年、この作品に対し「小学館児童文化賞」を受けています。
1956年には病床で「セロ弾きのゴーシュ」絵本化のための挿絵を書き上げ、48才の生涯を閉じてしまいましたが、今だにこの絵本は高く評価されています。
彼の作品にはほのぼのとした暖かさとユーモアがあり、センスも抜群で、竹取物語等の日本の作品でも独自の世界を描き出しています。
ずっと忘れていた彼の作品世界に触れ、心豊かな気分になりました。
この展示会は ノエビア銀座本社ビル1F で3月27日(金)まで開催されていますが、2月21日は展示替えのため休館となります。
入場は無料です。

「茂田井武」は、1908~1956年、昭和時代に武井武雄等と共に活躍した童画家です。
日本橋の旅館に生まれ、中学卒業後絵画を学びますが、1930年、ハルピンからシベリア鉄道でパリへ渡り、働きながら独学で絵を書き続けました。この時代の作品は、「ton paris」という作品集に収められていますが、時にユーモアあり、色彩もオシャレでとても楽しい作品達です。
今回の展示でもこの作品集の展示があり、本も置かれていたのですが、一切撮影禁止とのことでした。
1933年に帰国後は様々な職業に就きながら挿絵を書き始め、1941年以降児童雑誌に挿絵を書き始めます。
1950~1955年には明治製菓宣伝部の嘱託となり広告画を描いていましたが、この頃から持病の気管支喘息が悪化、肺結核となりますが、絵は書き続けました。
私達にとっては「キンダーブック」での挿絵が馴染み深いですが、1954年、この作品に対し「小学館児童文化賞」を受けています。
1956年には病床で「セロ弾きのゴーシュ」絵本化のための挿絵を書き上げ、48才の生涯を閉じてしまいましたが、今だにこの絵本は高く評価されています。
彼の作品にはほのぼのとした暖かさとユーモアがあり、センスも抜群で、竹取物語等の日本の作品でも独自の世界を描き出しています。
ずっと忘れていた彼の作品世界に触れ、心豊かな気分になりました。
この展示会は ノエビア銀座本社ビル1F で3月27日(金)まで開催されていますが、2月21日は展示替えのため休館となります。
入場は無料です。
Posted by ruriri at 18:06│Comments(0)
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