2015年11月08日
新海三社神社と田口峠
蕃松院を後にしてすぐ近くの「新海三社神社」へ向かいました。

興波岐命を東本社に、健御名方命を中本社に、そして事代主命、誉田別命を西本社に祀り、古来佐久の総社と称されます。
興波岐命(おきはぎのみこと)は佐久地方開拓の祖神で「新開(にいさく)」の神と記され、この「開(さく)」が佐久の地名となり、「新開(にいさく)」から新海という社号になった様です。
境内には重要文化財も二点あります。

その内の一つ、室町時代の建立とされる「三重塔」は神社の神宮寺として建てられ、和式を主としながらも随所に禅宗様が取り入れられていて、それは初重と二、三重の垂木の方向の違い等に見られます。

もう一つは「東本社」で、建立は三重塔と同時代とされます。

注目されるのは木鼻(柱や虹梁の端に付けられた彫刻の事)で、母屋木鼻には笹の葉の薄肉彫りがあり、向拝木鼻は、獣面化しだした初期のものだそうです。
蕃松院から横方向へ移動し、拝殿から入ってしまいましたので、参道を下って鳥居へと向かいました。

参道には巨大な木が茂り、流石に歴史を感じさせる風情でしたが、それに劣らず、鳥居も立派でした。
抜けるような蒼空に誘われ、帰りは「狭岩峡」で地形の険しいとされる「田口峠」を抜ける県道93号下仁田・臼田線を選びました。
別名「険道」とも言われる悪道で、皆さんそのヘアピンカーブや急勾配を楽しまれているそうですが、そんなことは後から分かりました。
当日も、地元に方からは「お勧めしません」と言われてしまいましたが、景色も良さそうだし・・・と気楽に走り出しましたが、流石にカーブはキツく崖も張り出していたり・・・で、結構なドライブとなりました。
最高地点は「田口峠」で当然分水嶺ですが、県境ではありません。

こんな「不思議」がこの線には沢山あり、又見処も色々あったようでしたが、帰りを急いだので、寄り道できませんでした。
川沿いに並ぶ南牧村の穏やかな家並みを眺めながら、のんびり家路に着きましたが、次回は是非この「険道」を探検したいと思いました。

興波岐命を東本社に、健御名方命を中本社に、そして事代主命、誉田別命を西本社に祀り、古来佐久の総社と称されます。
興波岐命(おきはぎのみこと)は佐久地方開拓の祖神で「新開(にいさく)」の神と記され、この「開(さく)」が佐久の地名となり、「新開(にいさく)」から新海という社号になった様です。
境内には重要文化財も二点あります。

その内の一つ、室町時代の建立とされる「三重塔」は神社の神宮寺として建てられ、和式を主としながらも随所に禅宗様が取り入れられていて、それは初重と二、三重の垂木の方向の違い等に見られます。

もう一つは「東本社」で、建立は三重塔と同時代とされます。

注目されるのは木鼻(柱や虹梁の端に付けられた彫刻の事)で、母屋木鼻には笹の葉の薄肉彫りがあり、向拝木鼻は、獣面化しだした初期のものだそうです。
蕃松院から横方向へ移動し、拝殿から入ってしまいましたので、参道を下って鳥居へと向かいました。

参道には巨大な木が茂り、流石に歴史を感じさせる風情でしたが、それに劣らず、鳥居も立派でした。
抜けるような蒼空に誘われ、帰りは「狭岩峡」で地形の険しいとされる「田口峠」を抜ける県道93号下仁田・臼田線を選びました。
別名「険道」とも言われる悪道で、皆さんそのヘアピンカーブや急勾配を楽しまれているそうですが、そんなことは後から分かりました。
当日も、地元に方からは「お勧めしません」と言われてしまいましたが、景色も良さそうだし・・・と気楽に走り出しましたが、流石にカーブはキツく崖も張り出していたり・・・で、結構なドライブとなりました。
最高地点は「田口峠」で当然分水嶺ですが、県境ではありません。

こんな「不思議」がこの線には沢山あり、又見処も色々あったようでしたが、帰りを急いだので、寄り道できませんでした。
川沿いに並ぶ南牧村の穏やかな家並みを眺めながら、のんびり家路に着きましたが、次回は是非この「険道」を探検したいと思いました。
Posted by ruriri at 19:32│Comments(0)
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