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2015年10月21日

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

昨年の奈良旅行での「古事記」展で国宝の「七支刀」を見る機会があり、その素晴らしさに身の引き締まる思いを体験したが、この時、刀剣類に銘文の刻まれている物は現在の所全国に7点あることを知りました。その中でも、この稲荷山古墳出土の鉄剣に刻まれた文字は何と115文字と抜きん出ています。それも全て金象嵌というのですから、まだ文字さえ思うようにならないにも関わらず当時の様子を「日本の言葉(といっては言い過ぎですが、取り敢えず日本語としての意味が分かる言葉)で」表現出来たことは奇跡的であるように思えます。
日本の技術力の高さと知性とは素晴らしい水準にあったといえるのかもしれません。
埼玉古墳群には、前回のブログで紹介させて頂いた「丸墓山古墳」の他、「稲荷山古墳」、「将軍山古墳」、「二子山古墳」、愛宕山古墳」、「瓦塚古墳」等々、前方後円墳8、円墳1の計9基の大型古墳が残され、嘗ては全部で40基を超える大小の古墳が存在したことがわかっているそうで、まるで古墳のアパートの様な所です。
丸墓山古墳からはこんな近くに、

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

2基の古墳が見えますが、左が稲荷山古墳で中央が将軍山古墳です。

稲荷山古墳は墳丘全長120mの前方後円墳で、墳丘の西側と中堤の西側2箇所に「造出し(つくりだし)」と呼ばれる広場があり、祭祀が行われる場所だったようです。
群馬の古墳ではあまり見かけませんでしたので、印象的でした。

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

後円部頂上の地下からは2基の埋葬施設が発見され、一つは素掘りの竪穴で、粘土を敷いた上に棺を置いたもの(粘土槨)、もう一つは舟形に掘った竪穴に川原石を貼り付けて並べ棺を置いたもの(礫槨)です。
粘土槨は荒らされていましたが、礫槨は盗掘されておらず、埋葬当時の副葬品の並べ方が分かる程、遺物の保存状態は良好でした。
現在、古墳頂上に模型が展示されています。

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

白い石部分が礫槨です。
この礫槨部分の出土状況は・・・

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

で、鉄剣は遺体の横に安置されていました。
実物の展示は勿論博物館にあり、他にも国宝の「帯金具」と「画文帯環状乳神獣鏡」

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

が展示され、

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

説明がそえられていました。

こちらが今回埼玉古墳群を訪れた最大の目的の国宝「金錯銘鉄剣」です。

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

凛とした空気の感じられる空間に、金文字が鈍く輝いている様子には、廻りの空気を圧倒する迫力を感じます。

稲荷山古墳からは他にも沢山の副葬品が出土していますが、こんな武人埴輪も印象深かったです。

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

まだ全ての古墳が発掘されている訳ではなく、その作業が待たれますが、お隣の将軍山古墳は発掘調査されていて、副葬品は展示館に並べられていましたが、中で面白かったのは、

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

これは「旗竿」で、鞍の後ろの旗竿金具に差して立てたそうです。
重装騎兵を用いる戦法が発達しなかった日本では殆ど見られないそうです。
この旗竿は皮で出来ているのでしょうか?
今日までこの形で残されていたことの不思議さと古代の人々の大らかさが感じられ、楽しい古墳探訪となりました。



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Posted by ruriri at 18:05│Comments(0)日記
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