2015年09月08日
沼田城
先日の新聞で沼田城の本丸堀発掘作業開始の記事を見つけ、春に訪れた折の写真を整理してみました。
訪れたのは4月30日でしたが、既に発掘作業があちこちで見かけられ、今後が楽しみだな・・・と思っていたのですが、来年のNHK大河ドラマ「真田丸」の放送決定を受け、本丸堀の本格的な発掘調査が開始されたそうです。
前回の発掘調査は18年前で、幅1mの僅かな部分でしたが今回は面積で300平方メートルと広範囲になりました。
沼田城は1532年(天文元年)沼田顕泰により築城され、1580年(天正8年)に真田昌幸が入城し規模を広げ1590年(天正18年)に長男信幸が沼田領二万七千石の初代城主となり、慶長2年には五層の天守閣が建造され、関東においては特別な城でしたが、江戸幕府により1682年廃城となりました。
当時の貴重な絵図が残されています。

「高さ三間」と言われる本丸堀は4月時点でもかなり丁寧に掘り起こされているようでしたが、一部はテニスコート場になっていたりします。

城内には復元された立派な鐘楼が建てられ、

この様な説明がありました。

まだ発掘作業中なので、案内板、解説等が行き届かない様ですが、静かに城内を散策出来、「真田家」へと思いを馳せることができました。
散策中の近所の方に色々教えていただき、こんなスポットを見つけました。

有名な「御殿桜」の一番美しい撮影スポットだそうです。

発掘調査は9月中旬まで続けられ、その後は埋め戻さず、フェンス越しに見学出来るようにするそうです。
整備された後に又訪れてみたいと思っています。
沼田城周辺は公園として整備されていますが、すぐお隣の沼田小学校には「大手門」が見られ、

公園内には最後の沼田藩主土岐家の子孫の子爵が東京渋谷に建てたドイツ別荘風建物の「旧土岐家住宅洋館」が移築され、

又、東日本最古の町家造りで17c末期のものと言われる沼田藩御用達の薬種商住宅が市街地から移築され一般公開されています。

残念ながら訪れた日には閉館で見学出来ませんでした。
次回を楽しみにしています。
訪れたのは4月30日でしたが、既に発掘作業があちこちで見かけられ、今後が楽しみだな・・・と思っていたのですが、来年のNHK大河ドラマ「真田丸」の放送決定を受け、本丸堀の本格的な発掘調査が開始されたそうです。
前回の発掘調査は18年前で、幅1mの僅かな部分でしたが今回は面積で300平方メートルと広範囲になりました。
沼田城は1532年(天文元年)沼田顕泰により築城され、1580年(天正8年)に真田昌幸が入城し規模を広げ1590年(天正18年)に長男信幸が沼田領二万七千石の初代城主となり、慶長2年には五層の天守閣が建造され、関東においては特別な城でしたが、江戸幕府により1682年廃城となりました。
当時の貴重な絵図が残されています。

「高さ三間」と言われる本丸堀は4月時点でもかなり丁寧に掘り起こされているようでしたが、一部はテニスコート場になっていたりします。

城内には復元された立派な鐘楼が建てられ、

この様な説明がありました。

まだ発掘作業中なので、案内板、解説等が行き届かない様ですが、静かに城内を散策出来、「真田家」へと思いを馳せることができました。
散策中の近所の方に色々教えていただき、こんなスポットを見つけました。

有名な「御殿桜」の一番美しい撮影スポットだそうです。

発掘調査は9月中旬まで続けられ、その後は埋め戻さず、フェンス越しに見学出来るようにするそうです。
整備された後に又訪れてみたいと思っています。
沼田城周辺は公園として整備されていますが、すぐお隣の沼田小学校には「大手門」が見られ、

公園内には最後の沼田藩主土岐家の子孫の子爵が東京渋谷に建てたドイツ別荘風建物の「旧土岐家住宅洋館」が移築され、

又、東日本最古の町家造りで17c末期のものと言われる沼田藩御用達の薬種商住宅が市街地から移築され一般公開されています。

残念ながら訪れた日には閉館で見学出来ませんでした。
次回を楽しみにしています。
Posted by ruriri at 17:29│Comments(0)
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