2015年08月23日
軽井沢・「旧スイス公使館深山荘」公開シンポジウム
友人を案内する為軽井沢へ下見に行った折、偶然「旧スイス公使館・深山荘の謎を解く」というパンフレットを見つけ、シンポジウムに参加してみることにしました。
これは昨年、スイスとの国交樹立150年を記念して多くの記念事業が行われ、両国の有志による「日瑞(スイス)研究集会組織委員会」が結成されたことによる「第一回学術交流ワークショップ」として今回企画されました。

「深山荘」は旧三笠ホテルの向かい側にあります。
昭和初期、東京在住の土木建築請負業家の前田栄次郎が、別荘ブームの浸透していった昭和8年から軽井沢でも別荘業を展開、昭和12年の「軽井沢町前田郷別荘地平面図」よると、この頃には前田郷最大の深山荘は完成していたようです。
敷地内にはテニスコート、ブランコ、等の遊具の他、ビリヤード、砂場等、子供から大人まで楽しめる様意図されていました。
又、前田郷の他の貸別荘は一戸建て形式ですが、深山荘だけが大きい規模で、和洋の個室からなる共同使用型の貸別荘であり、資料にも「軽井沢貸別荘{アパートメント}洋館」と記されています。
当時、東京でもモダンな都市型住宅として流行していたアパートメントを軽井沢でも直ぐに導入しようと試みたことが伺えます。
建物は、ホール(中央部分の高い屋根部分)を挟んで、片廊下ゾーンと中廊下ゾーンになり、片廊下ゾーンは8畳の広さの洋室で広いベランダを持つ5室からなり、中廊下ゾーンは中廊下を挟んで左右に6畳の広さの和室と洋室がそれぞれ5室並び、専用ベランダは無い。これは、利用者が好みに応じて選択できるようにしたものと考えられます。又、中央ホールには地下に続く階段があり、広い台所と2箇所の浴室が設けられ、共同使用の場とされていた。
外観は洋風で、一見三階建に見えますが、中央は先の説明の様に吹き抜けで、玄関口からは二階建てに見えます。

奥の二階部分がホールです。
今回の企画では、午前中に解説付き見学会が4回あり、午後からシンポジウムという流れでした。
建物内の見学は、予想以上の見学者に、主催者が戸惑い、資料が足りなくなったり、声が聞こえなかったり・・・と多少混乱がありました。

こちらは6疊の普通の和室です。

ホールには地下への階段があり、

オーブン付きキッチンがありました。

これは洋室のベランダの下ですが、簡単に足をつけて支えているだけのものでした。

庭でこんなきのこを見つけましたが、

名前は分かりません。
通りを挟んで「旧三笠ホテル」があります。

午後2時からは、軽井沢町、筑波大学、スイス大使館等の共催によるワークショップが催されました。

午前中の解説もあまりよく聞こえなかったり・・・で、殆ど情報の無いまま参加し、「何が謎なの?」という程度でしたが、次第に「謎」が浮かび上がり、第二次世界大戦、ポツダム宣言、「イミュニテカルイザワ(軽井沢を爆撃するな)」というキーワードも現れ、全く思わぬ方へ流れてゆきました。特にスイス大使であったカミーユ・ゴルジェ氏と日本との関係はとても興味深く、今後の研究が楽しみです。
スイスという国は、自然豊かで親しみを持っていましたが、意外に遠い国であることを今回感じました。
又、戦時中の軽井沢はどの様に戦争と関わっていたのか?
これから解き明かされてゆくことと思いますが、日瑞交流ワークショップの今後の発展に期待したいと思います。
これは昨年、スイスとの国交樹立150年を記念して多くの記念事業が行われ、両国の有志による「日瑞(スイス)研究集会組織委員会」が結成されたことによる「第一回学術交流ワークショップ」として今回企画されました。

「深山荘」は旧三笠ホテルの向かい側にあります。
昭和初期、東京在住の土木建築請負業家の前田栄次郎が、別荘ブームの浸透していった昭和8年から軽井沢でも別荘業を展開、昭和12年の「軽井沢町前田郷別荘地平面図」よると、この頃には前田郷最大の深山荘は完成していたようです。
敷地内にはテニスコート、ブランコ、等の遊具の他、ビリヤード、砂場等、子供から大人まで楽しめる様意図されていました。
又、前田郷の他の貸別荘は一戸建て形式ですが、深山荘だけが大きい規模で、和洋の個室からなる共同使用型の貸別荘であり、資料にも「軽井沢貸別荘{アパートメント}洋館」と記されています。
当時、東京でもモダンな都市型住宅として流行していたアパートメントを軽井沢でも直ぐに導入しようと試みたことが伺えます。
建物は、ホール(中央部分の高い屋根部分)を挟んで、片廊下ゾーンと中廊下ゾーンになり、片廊下ゾーンは8畳の広さの洋室で広いベランダを持つ5室からなり、中廊下ゾーンは中廊下を挟んで左右に6畳の広さの和室と洋室がそれぞれ5室並び、専用ベランダは無い。これは、利用者が好みに応じて選択できるようにしたものと考えられます。又、中央ホールには地下に続く階段があり、広い台所と2箇所の浴室が設けられ、共同使用の場とされていた。
外観は洋風で、一見三階建に見えますが、中央は先の説明の様に吹き抜けで、玄関口からは二階建てに見えます。

奥の二階部分がホールです。
今回の企画では、午前中に解説付き見学会が4回あり、午後からシンポジウムという流れでした。
建物内の見学は、予想以上の見学者に、主催者が戸惑い、資料が足りなくなったり、声が聞こえなかったり・・・と多少混乱がありました。

こちらは6疊の普通の和室です。

ホールには地下への階段があり、

オーブン付きキッチンがありました。

これは洋室のベランダの下ですが、簡単に足をつけて支えているだけのものでした。

庭でこんなきのこを見つけましたが、

名前は分かりません。
通りを挟んで「旧三笠ホテル」があります。

午後2時からは、軽井沢町、筑波大学、スイス大使館等の共催によるワークショップが催されました。

午前中の解説もあまりよく聞こえなかったり・・・で、殆ど情報の無いまま参加し、「何が謎なの?」という程度でしたが、次第に「謎」が浮かび上がり、第二次世界大戦、ポツダム宣言、「イミュニテカルイザワ(軽井沢を爆撃するな)」というキーワードも現れ、全く思わぬ方へ流れてゆきました。特にスイス大使であったカミーユ・ゴルジェ氏と日本との関係はとても興味深く、今後の研究が楽しみです。
スイスという国は、自然豊かで親しみを持っていましたが、意外に遠い国であることを今回感じました。
又、戦時中の軽井沢はどの様に戦争と関わっていたのか?
これから解き明かされてゆくことと思いますが、日瑞交流ワークショップの今後の発展に期待したいと思います。
Posted by ruriri at 19:03│Comments(0)
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