2015年07月07日
小泉文夫のメッセージ<民族音楽との邂逅>
小泉文夫(1927~1983)は東京芸大教授で、日本を始め世界中の民族音楽の現地調査を行い、それまで欧米系音楽中心であった日本の音楽界において民族音楽の紹介、啓蒙をとおしてその地位を向上させた方で、今年没後33年にあたり、彼のメッセージに改めて耳を傾けよう・・・という試みの様で、小泉ファンとしては是非訪れてみたく、7月5日、東京芸大奏楽堂へ足を運びました。

雨の中、上野の森の緑が煉瓦塀に映える中、芸大へ向かうと・・・

ベートーヴェンの像が出迎えてくれ、芸大特有の空間に浸る心地よさを感じました。

開演一時間半前に着いたのですが、奏楽堂は既に長蛇の列で、小泉人気の程が窺えます。
開演前の一時間は、彼が歩き回って調査してきた資料映像が写され、気さくな語り口と共に貴重な映像が楽しめました。
プログラムは、[1]長歌 [2]小泉文夫の足跡 [3]南インド・ヴィーナー(日本の琵琶の起源とされる撥弦楽器) [4]南インド・声楽 [5]インドネシア バリ・ガムラン [6] モンゴル・ホーミー(朝青龍そっくりさんによる馬頭琴と歌) [7]ウイグル・ラワープ(美しい民族衣装と歌、楽器の総合芸術) [8]邦楽囃子(幼稚園児も登場) [9]尺八(小泉氏の教え子の米国人演奏家) [10]雅楽 [11]インドネシア ジャワ・ガムラン という構成でした。
それぞれの演奏家の方々からは小泉氏への畏敬の念が伺われ、とてもすばらしい会でした。
最後のジャワ・ガムランは、芸大で初めての、日本以外のアジアの音楽を教える正式な外国人教師として小泉によって招かれたサプトノ氏が詩を新たに作り編曲した「小泉文夫“頌”」という曲が、サプトノ氏のルバブと太鼓と共に小泉氏の弟子により演奏され、印象的でした。
休憩時間には珍しい民族楽器が展示されていました。

“ネイ”というイランの縦笛と“マトブジ”というイラクの縦笛。

ウードというエジプトの琵琶の仲間。


という事で、左の穴の空いた楽器は人間の大腿骨で作られているそうです。
今でも時々小泉氏の名前が上がりますが、嘗てのシルクロード文化ブームの頃とは比べ物になりませんが、多くの方々に影響を残され、お弟子さん方を通じて今もその流れが途切れることなく流れていることが感じられ、嬉しかったです。
奏楽堂入口にはそのシルクロード文化を代表する様な平山画伯の絵が掛けられていました。

民族音楽のこれからはどの様に変化してゆくのでしょうか?気になるところです。

雨の中、上野の森の緑が煉瓦塀に映える中、芸大へ向かうと・・・

ベートーヴェンの像が出迎えてくれ、芸大特有の空間に浸る心地よさを感じました。

開演一時間半前に着いたのですが、奏楽堂は既に長蛇の列で、小泉人気の程が窺えます。
開演前の一時間は、彼が歩き回って調査してきた資料映像が写され、気さくな語り口と共に貴重な映像が楽しめました。
プログラムは、[1]長歌 [2]小泉文夫の足跡 [3]南インド・ヴィーナー(日本の琵琶の起源とされる撥弦楽器) [4]南インド・声楽 [5]インドネシア バリ・ガムラン [6] モンゴル・ホーミー(朝青龍そっくりさんによる馬頭琴と歌) [7]ウイグル・ラワープ(美しい民族衣装と歌、楽器の総合芸術) [8]邦楽囃子(幼稚園児も登場) [9]尺八(小泉氏の教え子の米国人演奏家) [10]雅楽 [11]インドネシア ジャワ・ガムラン という構成でした。
それぞれの演奏家の方々からは小泉氏への畏敬の念が伺われ、とてもすばらしい会でした。
最後のジャワ・ガムランは、芸大で初めての、日本以外のアジアの音楽を教える正式な外国人教師として小泉によって招かれたサプトノ氏が詩を新たに作り編曲した「小泉文夫“頌”」という曲が、サプトノ氏のルバブと太鼓と共に小泉氏の弟子により演奏され、印象的でした。
休憩時間には珍しい民族楽器が展示されていました。

“ネイ”というイランの縦笛と“マトブジ”というイラクの縦笛。

ウードというエジプトの琵琶の仲間。


という事で、左の穴の空いた楽器は人間の大腿骨で作られているそうです。
今でも時々小泉氏の名前が上がりますが、嘗てのシルクロード文化ブームの頃とは比べ物になりませんが、多くの方々に影響を残され、お弟子さん方を通じて今もその流れが途切れることなく流れていることが感じられ、嬉しかったです。
奏楽堂入口にはそのシルクロード文化を代表する様な平山画伯の絵が掛けられていました。

民族音楽のこれからはどの様に変化してゆくのでしょうか?気になるところです。
Posted by ruriri at 19:28│Comments(0)
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