2014年11月16日
北欧の旅・ヘルシンキ「スオメンリンナ島」
「スオメンリンナ島」はヘルシンキのエテラ港から市営フェリーで15分程で渡れる6つの島々の連なりで、、1991年に世界遺産に登録されています。
嘗てフィンランドを統治していたスウェーデンがロシアに対抗するために建設した軍事要塞で、岸辺には今も砲台や石壁が残されています。
又、気候の良い時期にはヘルシンキの人々がピクニックや海水浴に訪れるそうですが、島自体はフィンランドの海軍基地として機能しているだけでなく、住民も多く、学校や店等もあり、小さな街としての機能も備わっています。
エテラ港からフェリーに乗り込みましたが、この時の切符の購入が大変な仕事でした。
言葉が全く分からないので、身振り手振りで現地の方に購入していただきました。

こんな島々の間を縫って進むと大きな建物が見えてきました。

こちらの島にフェリーは到着、すぐ目の前に美しい「スオメンリンナ協会」が見られます。

1800年代半ばにロシア正教会として建てられましたが、フィンランド独立後、現在のシンプルなルーテル教会に作りかえられたそうです。
島には多くの地元の方々が降り立ち、皆さん同じ方向へ進んで行かれましたが、初めて訪れた観光客としてはビジターセンターを訪れたい所ですが早朝だったため開いていないので、取り敢えず島中央へ向かって歩き始めました。

直ぐに「武器庫」の様なものゆきあたりましたが、ここも早朝なので閉まっていましたが資料館の様でした。

島の高台からの眺めはこんな感じで、島の住人がお散歩していたりと何とも長閑ですが、軍用車の様なものも走っていました。
岸辺には砲台が見られ、

要塞としての姿は今も殆ど現存しているそうで、石壁伝いにその姿を訪ねられるそうです。
島中どこも締まっていて、自由時間は午前中だけで、次に「アテリウム美術館」での「トーヴェ・ヤンソン回顧展」見学を予定していたため、早々に帰途に着くことにしました。
後で調べたら、潜水艦、博物館等、色々見学できる場所があったようで、残念でした。
帰途、フェリーから見た島の要塞です。

スオメンリンナ要塞を上から俯瞰すると見事な星型を描く城壁が連なっているそうです。
心残りでしたが島を離れようと桟橋へ向かうと、沢山の観光客が乗ったフェリーが到着しました。
これから来るのが正解だった様です。
この後は「トーヴェ・ヤンソン回顧展」へ向かいます。
嘗てフィンランドを統治していたスウェーデンがロシアに対抗するために建設した軍事要塞で、岸辺には今も砲台や石壁が残されています。
又、気候の良い時期にはヘルシンキの人々がピクニックや海水浴に訪れるそうですが、島自体はフィンランドの海軍基地として機能しているだけでなく、住民も多く、学校や店等もあり、小さな街としての機能も備わっています。
エテラ港からフェリーに乗り込みましたが、この時の切符の購入が大変な仕事でした。
言葉が全く分からないので、身振り手振りで現地の方に購入していただきました。

こんな島々の間を縫って進むと大きな建物が見えてきました。

こちらの島にフェリーは到着、すぐ目の前に美しい「スオメンリンナ協会」が見られます。

1800年代半ばにロシア正教会として建てられましたが、フィンランド独立後、現在のシンプルなルーテル教会に作りかえられたそうです。
島には多くの地元の方々が降り立ち、皆さん同じ方向へ進んで行かれましたが、初めて訪れた観光客としてはビジターセンターを訪れたい所ですが早朝だったため開いていないので、取り敢えず島中央へ向かって歩き始めました。

直ぐに「武器庫」の様なものゆきあたりましたが、ここも早朝なので閉まっていましたが資料館の様でした。

島の高台からの眺めはこんな感じで、島の住人がお散歩していたりと何とも長閑ですが、軍用車の様なものも走っていました。
岸辺には砲台が見られ、

要塞としての姿は今も殆ど現存しているそうで、石壁伝いにその姿を訪ねられるそうです。
島中どこも締まっていて、自由時間は午前中だけで、次に「アテリウム美術館」での「トーヴェ・ヤンソン回顧展」見学を予定していたため、早々に帰途に着くことにしました。
後で調べたら、潜水艦、博物館等、色々見学できる場所があったようで、残念でした。
帰途、フェリーから見た島の要塞です。

スオメンリンナ要塞を上から俯瞰すると見事な星型を描く城壁が連なっているそうです。
心残りでしたが島を離れようと桟橋へ向かうと、沢山の観光客が乗ったフェリーが到着しました。
これから来るのが正解だった様です。
この後は「トーヴェ・ヤンソン回顧展」へ向かいます。
Posted by ruriri at 15:38│Comments(0)
│日記