2014年08月20日
「臼杵(うすき)」の早朝散策
何時も通り早朝に起きてしまったので、臼杵の町をぶらぶら歩いてみることにしました。
臼杵は戦国時代、大友宗麟により築かれた「臼杵城」を中心にした城下町で、町並みに歴史を感じさせる所が多いです。

この看板はお醤油屋さんのもので、あまりの難しい漢字に思わず写真を撮ってしまいましたが、何と読むのか分からなくなってしまいました。

町中には至る所にお寺があります。
こちらは「旧真光寺」で、町並み散策の無料休憩所となっているそうですが、早朝なので締まっていました。

ここから立派な三重塔が見えたので近づいてみると、

「龍原寺三重塔」で、太子塔とも呼ばれる聖徳太子を祀る塔でした。
安政5年(1858)竣工のこの塔は九州に2つしかない江戸期の木造三重塔の一つだそうで、なかなかに見事です。
臼杵は高低差の多い趣のある町で、細い路地を抜けると石段のの上にお寺が見えたりして楽しいです。

ここは「清光山月光寺」です。
静かな町並みを散策していると、何やら法被にハチマキ姿の人が見られるようになりましたが、今日が「臼杵祇園祭り」なのだそうです。
今回の旅はお祭りに始まりお祭りに終わりました。
折角なので「臼杵城跡」も散策してみました。

大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築いた海城で、島の形が亀に似ていたことから別名「亀城(きじょう)とも呼ばれ、断崖絶壁で四方を囲まれた城だったそうですが、現在は埋め立てにより陸続きなっています。
嘗ては数多くの櫓が立ち並んでいましたが、現在は畳櫓、卯寅口(うとのくち)門脇櫓等の近世の遺構が残されている他、「大門櫓」が復元されています。本丸と二の丸の間には空堀が現存、比較的遺構を留めていますが周辺は総て埋め立てられているため嘗ての海城の面影は失われています。県の史跡に指定されています。
お城からの眺めはこんな感じです。

卯寅口櫓の横には鮮やかな「卯寅稲荷」がありました。

臼杵の町並散策を終え、これから「臼杵石仏」見学に向かいます。
臼杵は戦国時代、大友宗麟により築かれた「臼杵城」を中心にした城下町で、町並みに歴史を感じさせる所が多いです。

この看板はお醤油屋さんのもので、あまりの難しい漢字に思わず写真を撮ってしまいましたが、何と読むのか分からなくなってしまいました。

町中には至る所にお寺があります。
こちらは「旧真光寺」で、町並み散策の無料休憩所となっているそうですが、早朝なので締まっていました。

ここから立派な三重塔が見えたので近づいてみると、

「龍原寺三重塔」で、太子塔とも呼ばれる聖徳太子を祀る塔でした。
安政5年(1858)竣工のこの塔は九州に2つしかない江戸期の木造三重塔の一つだそうで、なかなかに見事です。
臼杵は高低差の多い趣のある町で、細い路地を抜けると石段のの上にお寺が見えたりして楽しいです。

ここは「清光山月光寺」です。
静かな町並みを散策していると、何やら法被にハチマキ姿の人が見られるようになりましたが、今日が「臼杵祇園祭り」なのだそうです。
今回の旅はお祭りに始まりお祭りに終わりました。
折角なので「臼杵城跡」も散策してみました。

大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築いた海城で、島の形が亀に似ていたことから別名「亀城(きじょう)とも呼ばれ、断崖絶壁で四方を囲まれた城だったそうですが、現在は埋め立てにより陸続きなっています。
嘗ては数多くの櫓が立ち並んでいましたが、現在は畳櫓、卯寅口(うとのくち)門脇櫓等の近世の遺構が残されている他、「大門櫓」が復元されています。本丸と二の丸の間には空堀が現存、比較的遺構を留めていますが周辺は総て埋め立てられているため嘗ての海城の面影は失われています。県の史跡に指定されています。
お城からの眺めはこんな感じです。

卯寅口櫓の横には鮮やかな「卯寅稲荷」がありました。

臼杵の町並散策を終え、これから「臼杵石仏」見学に向かいます。
Posted by ruriri at 18:43│Comments(0)
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