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2014年08月04日

武家屋敷通りと五島観光歴史資料館

午後は晴れ間も出て、かなり蒸し暑くなりましたが、バスで通った武家屋敷通りで見かけた、家の周りを囲う石垣に興味を持ち、実物を見てみたくなり、出掛けました。

武家屋敷通りと五島観光歴史資料館

「こぼれ石」という丸い石が積み上げられ、今にも崩れそう!
最近のものはしっかりコンクリートで固められていましたが、昔ながらのものはゴロゴロと石が積まれているだけで、両端は半月型の石で止められています。なんともユニークで楽しい造りです。
武家屋敷通りにはふるさと館があり、こんな珍しい樹がありました。

武家屋敷通りと五島観光歴史資料館

武家屋敷通りと五島観光歴史資料館

展示室には五島でよく耳にする「バラモン」凧が販売されていました。

武家屋敷通りと五島観光歴史資料館

「バラモン」とは「ばらか」に由来し、「荒々しく向こう見ず」「活発で元気がよい」という意味だそうで、男の子の出産時等に贈られるそうです。

もう一つ不思議な響きの言葉がありました。「チャンココ」です。

武家屋敷通りと五島観光歴史資料館

こんな衣装で踊るお盆の行事だそうです。「チャン」が鉦(かね)の音、「ココ」は太鼓を叩く音であろうと言われています。
チャンココは各町内の青年団で構成され、伝統芸能として県指定無形文化財となっているそうです。

武家屋敷通りと五島観光歴史資料館

武家屋敷通り近くに「五島観光歴史資料館」があり、涼しい館内に魅力もあり入ってみました。
展示は農具、民俗行事、捕鯨の歴史、遣唐使と倭寇、五島藩の歴史、キリシタン文化、等々きめ細かく丁寧で見ごたえがありました。
入館者が少なかったので、学芸員の方に声をかけられ、「群馬県から来ました」と答えると、「ああ、あの富岡製糸工場ですね」と直ぐに反応が帰ってくるのは世界遺産になったおかげなのでしょう。意外にもここ五島からも富岡製糸工場へ工女として一年働いた女性がいたそうです。
船を乗り継いでの旅、さぞ苦難であったことか・・・と思います。「五島人は辛抱強い」といわれるそうですが、過酷な自然環境の中で育つと自然とそのように育つものなのかもしれません。

学芸員の方が、五島の城が海城といわれる証拠が見られます・・・と案内してくださったのが、

武家屋敷通りと五島観光歴史資料館

ここに船が着き、直接城へ入れたそうです。

福江城は、石田城ともいわれ、文久3年(1863)築の江戸時代最後の城郭で、黒船来航に備えて造られたため目立つ天守閣は無く、本丸の館も平屋だったが、明治維新を迎え築城9年後には解体されるという悲運を体験していますが、裏門にあたる蹴出門と城壁が修復を重ねながら現存しています。

武家屋敷通りと五島観光歴史資料館

又本丸跡には五島高等学校があります。

短い時間でしたが、五島列島をのんびり楽しめました。

欲張り旅になってしまったので、これから博多へ戻り、大分方面へ向かいます。



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Posted by ruriri at 18:01│Comments(0)日記
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