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2014年07月25日

宮地嶽(みやじだけ)神社

全国にある宮地嶽神社の総本社で、創建は社伝によると1600年前とされ、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)別名「神功(じんぐう)皇后」(応神天皇の母君)が御祭神とされます。

宮地嶽(みやじだけ)神社

拝殿正面には巨大注連縄がかけられていますが、、長さ135m、重さ35tと日本一だそうです。

宮地嶽(みやじだけ)神社

この神社には他にも日本一の大きさといわれる大太鼓、重さ450kgの青銅製大鈴があり、「三つの日本一」といわれているそうです。

この神社には「奥の宮八社」と呼ばれる社が祀られ、その中の不動神社(史跡)には約260年以上前に出土した、全国でも第一級の大きさの横穴式石室を有する巨大古墳あり、約6世紀末の建立と見られています。その石室は、全長23m、高さ幅共5mを超える巨大な石を積み重ねて造られており、大太刀、馬具類、瑠璃壷、ガラス板等300点程が発見され、その内20点が国宝に指定されています。

宮地嶽(みやじだけ)神社

特に黄金を使った品々は素晴らしく、金銅製の冠には黄金に龍や虎の透かし彫りが施されているそうです。
教科書にも載っている金銅製の鐙等、華やか王朝の姿が想像されます。
この様に、古来より宮地獄神社は崇高かつ裕福な神として恭われ、現在では開運、商売繁盛の神として崇められるようになりました。
嘗ては古墳がそのままで、石室を通り中まで拝観できたそうですが、20 数年前に建物で覆われたそうです。

全部の神社は廻りきれませんでしたが、鮮やか鳥居が沢山並ぶ「稲荷神社」は目に付きやすいです。

宮地嶽(みやじだけ)神社

境内にはこんな立派な石碑もありました。

宮地嶽(みやじだけ)神社

ここ宮司村(みやじむら)は痩せた農地で、常に水不足に悩まされていましたが、村民総出で溜池造りをして水不足を解消、年貢米はいつも一番に納め、天明の大飢饉(天明5年・1785年)時にもこの村だけが年貢米の返上を願い出ず完納したため、時の藩主から他村の模範として表彰されまました。寛政2年(1790年)褒美として米六百俵が贈られ、村民はこれを代々伝えるべく、この褒美の一部で、村内出生児に産着を贈ることとし、現在でもこの習わしが続けられているそうです。

歴史の感じられる静かな神社でした。



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Posted by ruriri at 09:36│Comments(0)日記
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