2013年11月27日
「植田正治のつくりかた」展
先日「ターナー展」の後、東京ステーションギャラリーでの「植田正治のつくりかた」展へ回りました。
写真展の題名からして興味深いですが、彼の生誕100年を記念した展示はとても楽しかったです。
写真家・植田正治には、以前テレビで紹介された際、初めて出会ったのですが、その独創性に感激し、早速、写真美術館より生誕100年記念の写真集を送っていただきました。
これは「植田正治写真美術館」の写真ですが、設計は<高松伸>で、建物も素晴らしいです。
植田正治の世界は、はっきりとした意図のもと、極めて緻密に計算されているにも拘わらず、何とも暖かく、ユーモラスで、思わず微笑んでしまいます。
今回は生誕100年ということで、様々な企画展が催されたようです。
(地元植田正治写真美術館では、現在「植田正治とロベール・ドアノー展」が開催されています。)
下は先日新聞に載った広告ですが、極めて大きな扱いでびっくりしました。
彼は生地の鳥取県境港市を殆ど出ることなく、砂丘を撮り続けています。この写真は彼の代表作といえる、1949年の「パパとママとこどもたち」という作品です。
彼は多くの家族写真を撮っていますが、ポーズ等、細かく演出されているのに張り詰めた緊張感は無く、ほのぼのとした暖かさが感じられ、人物に血が通っているようです。
砂丘の写真を取り上げられることが多いのですが、
今回は、生誕100年ということで、彼の晩年の新しい取り組み等、興味深い作品も沢山並べられていました。
彼は59才まで生地を出ることが無いほどの旅嫌いだったそうですが、1972年、初めてヨーロッパ旅行へ出かけることになり、新たな刺激を受けて生み出された作品は、明らかに植田正治の世界でありながら、エキゾティックというか、今までの世界とは少し違った空気を感じました。
例えばこの写真。(私は大好きなのですが)
ヨーロッパ旅行の写真は、1974年、「音のない記憶」として出版されました。
70才で最愛の妻を失った後、一時写真を撮れない時期もありましたが、晩年はファッションデザインの写真に新境地を開き、素晴らしいセンスを発揮した作品を撮り、華々しく開花します。
彼の写真には、一度見ると何故か引き込まれてしまう、魔法の様なものを感じます。
写真展の題名からして興味深いですが、彼の生誕100年を記念した展示はとても楽しかったです。
写真家・植田正治には、以前テレビで紹介された際、初めて出会ったのですが、その独創性に感激し、早速、写真美術館より生誕100年記念の写真集を送っていただきました。
これは「植田正治写真美術館」の写真ですが、設計は<高松伸>で、建物も素晴らしいです。
植田正治の世界は、はっきりとした意図のもと、極めて緻密に計算されているにも拘わらず、何とも暖かく、ユーモラスで、思わず微笑んでしまいます。
今回は生誕100年ということで、様々な企画展が催されたようです。
(地元植田正治写真美術館では、現在「植田正治とロベール・ドアノー展」が開催されています。)
下は先日新聞に載った広告ですが、極めて大きな扱いでびっくりしました。
彼は生地の鳥取県境港市を殆ど出ることなく、砂丘を撮り続けています。この写真は彼の代表作といえる、1949年の「パパとママとこどもたち」という作品です。
彼は多くの家族写真を撮っていますが、ポーズ等、細かく演出されているのに張り詰めた緊張感は無く、ほのぼのとした暖かさが感じられ、人物に血が通っているようです。
砂丘の写真を取り上げられることが多いのですが、
今回は、生誕100年ということで、彼の晩年の新しい取り組み等、興味深い作品も沢山並べられていました。
彼は59才まで生地を出ることが無いほどの旅嫌いだったそうですが、1972年、初めてヨーロッパ旅行へ出かけることになり、新たな刺激を受けて生み出された作品は、明らかに植田正治の世界でありながら、エキゾティックというか、今までの世界とは少し違った空気を感じました。
例えばこの写真。(私は大好きなのですが)
ヨーロッパ旅行の写真は、1974年、「音のない記憶」として出版されました。
70才で最愛の妻を失った後、一時写真を撮れない時期もありましたが、晩年はファッションデザインの写真に新境地を開き、素晴らしいセンスを発揮した作品を撮り、華々しく開花します。
彼の写真には、一度見ると何故か引き込まれてしまう、魔法の様なものを感じます。
Posted by ruriri at 18:23│Comments(0)
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