2012年11月04日
六合村の「赤岩集落」
先日、知人が遊びに来たので、六合村の重要伝統的建造物群保存地区である「赤岩集落」へ案内することにしました。
白砂川を渡ると直ぐに到着。
駐車場のある「赤岩ふれあいの家」を覘いて案内のパンフレットを頂き、歩き始めました。
すぐ横に水車が廻っていて、水車小屋があります。
中では粉を挽いている様なので、写真を撮らせて頂きました。
蕎麦粉だそうです。
次は「上の観音堂(うえのかんのんどう)」への坂道を登ります。
この建物は、宝暦14年(1764)建造で、赤岩では最も古い建物です。
ここからの眺めは、視界が大きく開け、素晴しかったです。
下へ降り、「毘沙門堂」を通り、
「湯本家」へ。
ここは、長崎でシーボルトに学んだ蘭学者、蘭医「高野長英」が匿われていたそうです。
開国論を唱え捕らえらましたが、火災により獄舎を逃れたおり、江戸時代から医者を務めていた湯本家に助けられたようです。
赤岩地区でも特徴的で珍しい三階建民家です。
歩いていると、こんな展示がありました。
廊下を利用した、アイデア展示です。
そういえば、最近「廊下」を見かけなくなりました。
赤岩地区には、普通の民家でさえ、立派な史跡になりそうな建物が沢山見られます。
これもその一つで、三階部分は「お蚕さんの部屋」だったのでしょう。
「お蚕さん」といえば、今は閉まっていましたが、「稚蚕飼育所跡」があり、
こんな説明がありました。
散策を続けると、こんな石垣があり、
登ってゆくと、こんな朽ちかかった祠がありました。
下へ降りると、こんな木札があり、「諏訪神社跡」と解りました。
何となく寂れた風情で、あたり一面のススキがとてもよく似合っていました。
ひっそりとした集落の中をあるいていると、微笑ましい物に出会います。
これは家庭のポストではなく、地域の住民用です。
紐で縛られているところが、何ともいえません。
のんびり歩きすぎて、長くなりましたので、続きは次回に。
六合村「赤岩集落」は、風子さんのブログに丁寧な記事が書かれています。
http://gpnotebook.gunmablog.net/d2010-07-20.html
白砂川を渡ると直ぐに到着。
駐車場のある「赤岩ふれあいの家」を覘いて案内のパンフレットを頂き、歩き始めました。
すぐ横に水車が廻っていて、水車小屋があります。
中では粉を挽いている様なので、写真を撮らせて頂きました。
蕎麦粉だそうです。
次は「上の観音堂(うえのかんのんどう)」への坂道を登ります。
この建物は、宝暦14年(1764)建造で、赤岩では最も古い建物です。
ここからの眺めは、視界が大きく開け、素晴しかったです。
下へ降り、「毘沙門堂」を通り、
「湯本家」へ。
ここは、長崎でシーボルトに学んだ蘭学者、蘭医「高野長英」が匿われていたそうです。
開国論を唱え捕らえらましたが、火災により獄舎を逃れたおり、江戸時代から医者を務めていた湯本家に助けられたようです。
赤岩地区でも特徴的で珍しい三階建民家です。
歩いていると、こんな展示がありました。
廊下を利用した、アイデア展示です。
そういえば、最近「廊下」を見かけなくなりました。
赤岩地区には、普通の民家でさえ、立派な史跡になりそうな建物が沢山見られます。
これもその一つで、三階部分は「お蚕さんの部屋」だったのでしょう。
「お蚕さん」といえば、今は閉まっていましたが、「稚蚕飼育所跡」があり、
こんな説明がありました。
散策を続けると、こんな石垣があり、
登ってゆくと、こんな朽ちかかった祠がありました。
下へ降りると、こんな木札があり、「諏訪神社跡」と解りました。
何となく寂れた風情で、あたり一面のススキがとてもよく似合っていました。
ひっそりとした集落の中をあるいていると、微笑ましい物に出会います。
これは家庭のポストではなく、地域の住民用です。
紐で縛られているところが、何ともいえません。
のんびり歩きすぎて、長くなりましたので、続きは次回に。
六合村「赤岩集落」は、風子さんのブログに丁寧な記事が書かれています。
http://gpnotebook.gunmablog.net/d2010-07-20.html
Posted by ruriri at 19:29│Comments(0)
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