2012年10月10日
小諸駅周辺
先日の「黒斑山登山」の折、小諸駅に40分程早く着いたので、駅周辺を散策しました。
駅のすぐ隣になにやら見かけたことのあるお花やさんがあり、入ってみると、
やはり、以前訪れ、お花を買ったお洒落なガーデニングの店、「停車場」でした。
カフェもあり、お茶も飲めるのですが、早朝のため閉まっています。
きれいに植えられたお花を見ていると、こんなものが・・・
オーナーの方も楽しい方で、前回は色々お話できました。
また訪れてみたいお店です。
線路を超えて、「懐古園」へ行ってみましたが、ここも受付がまだ開いていないので、
すぐ横の「小諸義塾記念館」へ行ってみました。
ここは「木村熊冶」により、1893年設立された「私塾」で、「島崎藤村」等の個性的な教師も多い、キリスト教系の学校でした。
「木村熊冶」は明治3年、森有礼と一緒に渡米、12年後に帰国後は、熱心なキリスト教的教育者として「明治女学校」を開校した方で、小諸では、「小諸義塾」を創設、中学教育の振興に努められましたが、1906年、財政難により閉校となりました。
「藤村」縁りのため、すぐ横には、「惜別の歌」の歌碑がありました。
そろそろ集合時間になりました。
駅のすぐ隣になにやら見かけたことのあるお花やさんがあり、入ってみると、
やはり、以前訪れ、お花を買ったお洒落なガーデニングの店、「停車場」でした。
カフェもあり、お茶も飲めるのですが、早朝のため閉まっています。
きれいに植えられたお花を見ていると、こんなものが・・・
オーナーの方も楽しい方で、前回は色々お話できました。
また訪れてみたいお店です。
線路を超えて、「懐古園」へ行ってみましたが、ここも受付がまだ開いていないので、
すぐ横の「小諸義塾記念館」へ行ってみました。
ここは「木村熊冶」により、1893年設立された「私塾」で、「島崎藤村」等の個性的な教師も多い、キリスト教系の学校でした。
「木村熊冶」は明治3年、森有礼と一緒に渡米、12年後に帰国後は、熱心なキリスト教的教育者として「明治女学校」を開校した方で、小諸では、「小諸義塾」を創設、中学教育の振興に努められましたが、1906年、財政難により閉校となりました。
「藤村」縁りのため、すぐ横には、「惜別の歌」の歌碑がありました。
そろそろ集合時間になりました。
Posted by ruriri at 18:44│Comments(0)
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