イトスギ › 日記

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2015年11月14日

手作り酵母パンとムーミングッズの新しい仲間

先日、茅ヶ崎の知人が我が家を訪れ、手土産に「手作り酵母パン」をいただきました。



以前からパン作りされているのは聞いていましたが、実物を頂くのは初めてでしたが、とても美味しくて感激しました!

酵母の材料は殆ど何でも可能な様で、ブドウ、柿、いちじく、キウイ、ブルーベリー・・・と様々な素材から作られるそうです。
見た目も美しく、生地に感じられる仄かな甘味とナッツの舌触りが何とも絶妙でした。



酵母作りは、あまりレシピ通りに拘るとかえって失敗することも多いそうで、おおらかな管理が美味しい酵母を育てる秘訣かもしれない・・・と最近気付かれたそうです。
伸びやかな性格で、生き方もしなやかな素敵な方ですが、来年には山形へ移り、御主人と農業(サクランボ、洋梨、無農薬野菜の栽培)の他、小さなパン屋さんを開きたいそうです。
私も精一杯応援したいと思っています。

彼女も「ムーミンファン」で、今回はこんなグッズをいただきました。



「星にねがいを」のオルゴールですが、ムーミンの直向きな視線が何とも言えず可愛いです!
後ろはムーミンクッキーです。
ムーミングッズに囲まれる毎日で冬でも心が暖かくなるような・・・


  


Posted by ruriri at 13:08Comments(3)日記

2015年11月08日

新海三社神社と田口峠

蕃松院を後にしてすぐ近くの「新海三社神社」へ向かいました。



興波岐命を東本社に、健御名方命を中本社に、そして事代主命、誉田別命を西本社に祀り、古来佐久の総社と称されます。
興波岐命(おきはぎのみこと)は佐久地方開拓の祖神で「新開(にいさく)」の神と記され、この「開(さく)」が佐久の地名となり、「新開(にいさく)」から新海という社号になった様です。
境内には重要文化財も二点あります。



その内の一つ、室町時代の建立とされる「三重塔」は神社の神宮寺として建てられ、和式を主としながらも随所に禅宗様が取り入れられていて、それは初重と二、三重の垂木の方向の違い等に見られます。



もう一つは「東本社」で、建立は三重塔と同時代とされます。



注目されるのは木鼻(柱や虹梁の端に付けられた彫刻の事)で、母屋木鼻には笹の葉の薄肉彫りがあり、向拝木鼻は、獣面化しだした初期のものだそうです。

蕃松院から横方向へ移動し、拝殿から入ってしまいましたので、参道を下って鳥居へと向かいました。



参道には巨大な木が茂り、流石に歴史を感じさせる風情でしたが、それに劣らず、鳥居も立派でした。

抜けるような蒼空に誘われ、帰りは「狭岩峡」で地形の険しいとされる「田口峠」を抜ける県道93号下仁田・臼田線を選びました。

別名「険道」とも言われる悪道で、皆さんそのヘアピンカーブや急勾配を楽しまれているそうですが、そんなことは後から分かりました。
当日も、地元に方からは「お勧めしません」と言われてしまいましたが、景色も良さそうだし・・・と気楽に走り出しましたが、流石にカーブはキツく崖も張り出していたり・・・で、結構なドライブとなりました。
最高地点は「田口峠」で当然分水嶺ですが、県境ではありません。



こんな「不思議」がこの線には沢山あり、又見処も色々あったようでしたが、帰りを急いだので、寄り道できませんでした。

川沿いに並ぶ南牧村の穏やかな家並みを眺めながら、のんびり家路に着きましたが、次回は是非この「険道」を探検したいと思いました。  


Posted by ruriri at 19:32Comments(0)日記

2015年10月29日

龍岡城「五稜郭」と蕃松院

最近、函館「五稜郭」の話題に触れたことで、日本に二箇所とされる「五稜郭」のもう一つ、佐久市にある「龍岡五稜郭」を訪ねてみることにしました。

晴天の日だったので、内山峠のコスモスも少し期待していましたがすっかり花の時期は終わり、山々は色付き始めていました。



嘗ての城の大手門前には「佐久市歴史の里五稜郭であいの館」があり、龍岡城に関する資料が展示されています。



築城主は「大給(おぎゅう)松平氏」で、慶応三年(1867)完成しましたが、廃藩置県により明治5年(1872)建物は解体されました。
城跡に残された御台所櫓には1875年(明治5年)に田野口村の尚友学校が移転、現在の佐久市立田口小学校に至るまで、跡地は小学校として用いられ、1934年(昭和9年)に国指定史跡とされています。



学校内ですが、訪れたのが休日の為、敷地内へ入れました。

城の規模は函館五稜郭のほぼ半分の大きさです。
廻りを取り囲む稜堡式の石垣に水堀が巡らされていて、星型の角が解ります。



構内は広々としていて、廻りを土手で囲まれ歴史の香りに包まれた豊かな環境の様で、羨ましい程です。
鮮やかな紅葉も彩を添えていました。



ここから、近くの「国重要文化財」である“新海三社神社”へ向かおうと、であいの館の方に伺うと、是非「蕃松院」へも立ち寄ってみてください・・・との事でしたので、近くもあり、二箇所訪れてみました。



すぐにこんな看板を見つけると、ありました!



何とも見通しが良すぎて戸惑ってしまいますが、立派な松の並んだ参道は素晴らしいです。

この寺は、戦国武将、田口城主依田信蕃が岩尾城を攻めて天正11年(1583)に没した事でその子松平康国が父の追福供養を念じ、父の居城跡に堂宇を再建し、寺号を「蕃松院」としたことによります。
寛政2年(1790))落雷により消失し、現本堂は文政5年(1822)の再建で、その規模は県内屈指で、彫刻の多用等、江戸時代後期の曹洞宗建築の特色を伝えています。



門を潜り本堂へ・・・



境内は綺麗に整備され、手入れも行き届いていて、信仰の篤さが伺えました。

ここの特徴は何といっても「松」で、参道を戻ってゆくと、



あまり出会えない雰囲気でした。
でも不思議な表情のこの松は何という名の松なのでしょうか?気になりました。

次に「新海三社神社」へ向かいます。  


Posted by ruriri at 18:34Comments(4)日記

2015年10月21日

稲荷山古墳出土の国宝・金錯銘(きんさくめい)鉄剣

昨年の奈良旅行での「古事記」展で国宝の「七支刀」を見る機会があり、その素晴らしさに身の引き締まる思いを体験したが、この時、刀剣類に銘文の刻まれている物は現在の所全国に7点あることを知りました。その中でも、この稲荷山古墳出土の鉄剣に刻まれた文字は何と115文字と抜きん出ています。それも全て金象嵌というのですから、まだ文字さえ思うようにならないにも関わらず当時の様子を「日本の言葉(といっては言い過ぎですが、取り敢えず日本語としての意味が分かる言葉)で」表現出来たことは奇跡的であるように思えます。
日本の技術力の高さと知性とは素晴らしい水準にあったといえるのかもしれません。
埼玉古墳群には、前回のブログで紹介させて頂いた「丸墓山古墳」の他、「稲荷山古墳」、「将軍山古墳」、「二子山古墳」、愛宕山古墳」、「瓦塚古墳」等々、前方後円墳8、円墳1の計9基の大型古墳が残され、嘗ては全部で40基を超える大小の古墳が存在したことがわかっているそうで、まるで古墳のアパートの様な所です。
丸墓山古墳からはこんな近くに、



2基の古墳が見えますが、左が稲荷山古墳で中央が将軍山古墳です。

稲荷山古墳は墳丘全長120mの前方後円墳で、墳丘の西側と中堤の西側2箇所に「造出し(つくりだし)」と呼ばれる広場があり、祭祀が行われる場所だったようです。
群馬の古墳ではあまり見かけませんでしたので、印象的でした。



後円部頂上の地下からは2基の埋葬施設が発見され、一つは素掘りの竪穴で、粘土を敷いた上に棺を置いたもの(粘土槨)、もう一つは舟形に掘った竪穴に川原石を貼り付けて並べ棺を置いたもの(礫槨)です。
粘土槨は荒らされていましたが、礫槨は盗掘されておらず、埋葬当時の副葬品の並べ方が分かる程、遺物の保存状態は良好でした。
現在、古墳頂上に模型が展示されています。



白い石部分が礫槨です。
この礫槨部分の出土状況は・・・



で、鉄剣は遺体の横に安置されていました。
実物の展示は勿論博物館にあり、他にも国宝の「帯金具」と「画文帯環状乳神獣鏡」



が展示され、



説明がそえられていました。

こちらが今回埼玉古墳群を訪れた最大の目的の国宝「金錯銘鉄剣」です。



凛とした空気の感じられる空間に、金文字が鈍く輝いている様子には、廻りの空気を圧倒する迫力を感じます。

稲荷山古墳からは他にも沢山の副葬品が出土していますが、こんな武人埴輪も印象深かったです。



まだ全ての古墳が発掘されている訳ではなく、その作業が待たれますが、お隣の将軍山古墳は発掘調査されていて、副葬品は展示館に並べられていましたが、中で面白かったのは、



これは「旗竿」で、鞍の後ろの旗竿金具に差して立てたそうです。
重装騎兵を用いる戦法が発達しなかった日本では殆ど見られないそうです。
この旗竿は皮で出来ているのでしょうか?
今日までこの形で残されていたことの不思議さと古代の人々の大らかさが感じられ、楽しい古墳探訪となりました。  


Posted by ruriri at 18:05Comments(0)日記

2015年10月16日

玉原高原・ブナ林の紅葉

「秋晴れ」という天気予報と「紅葉が見頃」という玉原周辺の情報に、今年初の「紅葉狩り」に出掛けることにしました。
当日は朝から快晴で、雲一つ無く、玉原へ向かう途中にも蒼空に紅葉が映え、期待が高まりました。

玉原高原のビジターセンター駐車場に車を置き、湿原目指して歩き始めると・・・



柔らかいブナの黄葉、所々のナナカマド等の真っ赤な葉、僅かに残る薄緑・・・とグラデーションの美しさに目を見張りました。

紅葉を通して見える蒼空の美しさも格別です。



そして何よりも「ブナ林」の、包み込んでくれる様な穏やかさに心がホッと和みます。



すぐに湿原到着。



今日は紅葉を堪能すべく、湿原中心にのんびり歩くことにしました。



至るところに綺麗な湧水が流れ、その水音も耳に心地よいです。

ふとこんな実が目に止まりましたが、



帰宅後調べてみると、「ツリバナマユミ」の実の様でした。

もう秋の花々も終わり、僅かに「タムラソウ」がほんのわずか咲き残っていました。



湿原の枯葉色の中ではカエデの紅葉の鮮やかさも一際目立っていました。



湿原で出会った方も紅葉の美しさに感激されていましたが、



人出が少ないのも私にとっては嬉しかったです。

ゆっくり散策した後、玉原湖へ寄ってみました。



ここは人造湖で、



大きなロックフィルダムにより造られました。

午後には風が出てきて、強風に煽られながら眺めると、湖が一際大きく見えました。



湖畔の紅葉もとても美しかったです。

思い掛けず今年初の素晴らしい紅葉体験が出来、大満足の一日でした。  


Posted by ruriri at 18:30Comments(0)日記

2015年10月13日

埼玉(さきたま)古墳群と「のぼうの城」

先日、秋晴れに誘われ、「埼玉古墳群」を訪れてみました。
群馬の古墳へはかなり足を運んでいますが、埼玉は初めてです。
どちらも利根川の流域に綺麗に並んでいて、人と水との関わりの深さを実感します。

「埼玉古墳群」は県名発症のの地、行田市大字埼玉にあり、



5世紀後半~7世紀初め頃までに作られた9基の大型古墳が群集し、この頃の古墳群としては我が国有数のものであり、昭和13年に国の史跡に指定されています。



その9基の中で直径105mと日本最大の円墳が「丸墓山古墳」で、墳丘の高さも埼玉古墳群の中では一番です。
出土した埴輪から6世紀前半の古墳と推定されています。



この古墳が最近話題になったのは、映画「のぼうの城」で、忍城攻撃時、石田三成が、城を一望できるこの丸墓山古墳の山頂に本陣を置いたことによりますが、こんな案内板がある程人気があるのでしょうか?



古墳から忍城を眺めると・・・



殆ど城内が見えてしまう程です。

忍城は1478年(文明10年)頃地元豪族の成田顕泰により築城された「守りや易く攻め難い難攻不落の城」として有名でした。
1590年(天正18年)、秀吉の関東平定の際、城主成田氏家は小田原城に籠城、従兄弟の長親を城主として、家臣、農民ら3000の兵が忍城に立籠り石田三成軍の水攻めにも落ず、最後は小田原城の氏家が先に落城したために開城する・・・という、城側の大いなる面目を施すこととなった経緯が小説家され、更に映画化されましたが、偶然、埼玉古墳群を訪れた日にTVで映画が放送されたので見てみました。

野村萬斎の個性が際立ち、それなりに面白かったのですが、石田三成が僅か5日間で築かせたという総延長28kmの堤へ利根川の水を流し入れる場面等、少し現実的でない表現もあり、やはり「お話」の世界に流れてしまいがちな印象を持ちました。

しかし、この戦いにより、忍城は「忍の浮城」という別名を受け、語り伝えられます。




寛永16年(1639)、時の老中、阿部忠秋が入城し、忍城の大改築に着手、孫の正武の代に御三階櫓の建設・城門、土塀の修築等が完成し面目を一新、その後宿場町として機能し、利根川の水運を利用した物流路としても繁栄、江戸後期からは足袋の産地としても名を馳せ、現在もその名残を留めていますが、明治維新後全て取り壊されてしまいました。



市では御三階櫓等を外観復興したりして歴史資料を紹介展示しています。

この後、国宝の鉄剣が発掘された「稲荷山古墳」等、その他の古墳群を巡りました。  


Posted by ruriri at 19:59Comments(0)日記

2015年10月11日

中之条ビエンナーレ「中之条・伊勢町・伊参(いさま)エリア」

何とか期間中にもう一度訪れる機会を持てたので、やはりメイン(?)の中之条・伊参エリアを訪ねてみました。

中之条ビエンナーレは今年で10年という節目を迎えたそうですが、人出も多く、街の賑わいに大いに貢献している様で、中之条町を応援している(勝手に)身には嬉しい限りです。

先ずは町中心部の「つむじ」での展示作品。



木の音板をはめ替えてメロディーを作れ、木球を転がして演奏ができます。
「キラキラ星」がセットされてましたが、何とか聞き取れました。

街中にも色々な作品が点々とあります。

大きなものは、旧中田木材倉庫に展示されたもので、



入口付近には綺麗に製材された木が並び、奥へ進むにつれて原材に近い形で展示され、森林の成長のゆったりと流れる時間、深い森の怖ろしさ等がイメージされます。



屋外には綿テープで包まれた枝や、



こんなベンチが置かれ、和めました。



中之条町はこじんまりしているので、町外れまでも楽に歩けるのが嬉しいです。
ここには「鳥追い祭り」の巨大な太鼓等が陳列されていることでも有名です。

ここでは広いスペースを使った展示作品が多く、作品数は昨年よりも少なめでした。



こちらは「境」というテーマです。どこまでが“私”で、どこからが“あなた(猿)”?

階段部分にはこんな解説があり、



「自由参加型」作品が作成されつつあり、



2階には極めつけ!のタンポポの綿毛2000本の展示です。



中にはこんな恐ろしげな作品もありました。



作品製作中に落下したら・・・?
ちょっとハラハラする作品でした。

ここから伊参へ周りますが、途中、道の駅「霊山たけやま」で休憩、散策していると、



こんな迫力ある作品に出会いました。
霊山嵩山の中腹にワイヤーロープが張られ、作品が天空に泳いでいました。
中には気付かない方もいらっしゃる様でしたが、山の威容さにも負けず、おおらかで、今回のビエンナーレ中、一番印象的でした。
麓には、これも巨大なケヤキ(親都の大ケヤキ・樹齢700年)が鎮座し、



全体で一つの作品の様です。

ここから伊参スタジオへはすぐで、一昨年も同じコースを辿りました。



今年は「月とキャベツ」の展示もありましたが、私は作品を見ていないのでよくわかりませんでした。

屋外展示も昨年と比べるとずっと数が少なく、少し寂しい感じでした。



「眠る男」の再現セットには、今年春、前橋美術館で作品展をされていた「林麻依子」氏の作品が展示されていて



とても印象的なのですぐにわかりました。



このお饅頭の様な物は屋外展示作品の一つで、中に入って突起物を叩くと反響が外へ大きく響きます。



こちらは、旧伊参小学校(廃校)に展示されていた、「つむじ」の楽器製作者と同じ「つちやあゆみ」氏作の「歯車のオルゴール」です。
マレット水球をはめかえることで旋律を変えることができるそうで、和音のメロディーを奏でるこのオルゴールは、ハンドルを回す事で音が奏でられます。
私も参加させて頂きましたが、中々楽しいです。

二度目の中之条ビエンナーレ体験でしたが、全体として前回との違いが感じられました。
作品の展示が今回は何となく一方的に思えたのです。前回は、作者が一生懸命作品の意図を説明しようと努力していたように思えるのですが、今回は、「分かる人に見てもらえれば・・・」という様な、作者からの「招き」の感じられない作品が多いように思えました。
今回は製作者とお会いする機会が無かったこともおおきいと思いますが、作品そのものにも、作品紹介の案内板にも、その姿勢が窺われました。見学者の中には、「これだけ?」と素通りしてしまう姿も見かけられました。作品製作に至るほんの小さなきっかけでも、見学者にとっては大きな足がかりになることもあるので、残念です。
今後のビエンナーレが中之条を盛り上げてゆくためにも、もっと多くの方々に訪れていただけるような取り組みを期待したいと思いました。
多くの方が努力されていることとは思いますが、二年後のビエンナーレを楽しみにしているものとして、期待しています。  


Posted by ruriri at 19:48Comments(0)日記

2015年10月07日

中之条ビエンナーレ「沢渡・暮坂峠エリア」

六合村から、若山牧水ゆかりの暮坂峠へ向かうと、途中に牧水歌碑があちこちに見られます。
この地域最初の作品は、「十二みます」にあり、屋外展示は池に浮かんでいて、どちらも触れられます。



左の作品へは筏を漕いで(ウェットスーツが用意されていました)、右へは筏の上を歩いて進み、椅子で休憩出来ますが、小雨模様の中、どちらも断念しました。

池の辺の建物には、嘗てのテレビ時代劇を彷彿とさせるような、昔懐かしい作品が展示されていました。



2階の各部屋にもそれぞれに展示され、ストーリーが展開されています。

ここからすぐ近くに、地元の物産品を扱い、季節の花々が楽しめる広大な敷地を有する「花楽の里」があり、ここで休憩がてら、作品を見ることにしました。



広い庭園には様々な植物が植えられ、季節毎に花を楽しめる様です。
花を背景に、作品が展示され、



中々楽しい眺めです。
後ろの群生はフジバカマですが、他にもトラノオの群生等、見事でした。



上はベンケイソウで、名札が付いていたので分かりました。

名前の分からない花々も多く、名札があると嬉しいのですが・・・。
真っ赤な実の弾けた山椒を見つけ、あまりの美しさにパチリ。



展示作品の中に、破損されたものを見かけました。



これも作品の一部ならば良いのですが、悪意?としたら何とも残念です。
もしも作品ならば何故?(因みに、公式ガイドブックブックには破損部分は見られません)

不思議に印象にに残っている作品の一つが、「蛇野」という場所にあった廃屋作品です。



ビエンナーレの看板が無ければ絶対に近寄れない場所です。



内部展示は、鳥小屋風だったり、、こんな写真が光を通して浮かびあっがています。
何も無いと思っていた所でふと何かを見かけたような、不思議な気持ちになりました。

沢渡には「丸伊製材店」での三人展等、いろいろありました。

一日で回れるのはせいぜいこの位で、全エリア制覇はとても無理そうですが、期間中出来ればもう一度訪れてみたいとおもっています。

中之条ビエンナーレは 10月12日 まで開催されています。  


Posted by ruriri at 19:45Comments(0)日記

2015年10月03日

中之条ビエンナーレ 「六合エリア」

二年に一回の「中之条ビエンナーレ」ですが、前回とても興味深く歩き回ったので、今回も訪れてみました。
今回は先ず、前回行けなかった「六合エリア」と「沢渡・暮坂エリア」を訪れました。

六合エリアはメインスポットの「水車小屋」に車を置いてスタートします。



六合村を初めて訪れたのは三年程前でしたが、美しくとても静かな雰囲気にすっかり魅了されました。
今回驚いたのは、村の中がすっかり綺麗に修復されていたことでした。
前回も充分美しく清潔感があったのですが、古い建物もきれいに修復され、見違える様でした。
村民の皆様の熱意を感じました。



こちらは江戸末期の「ネド蔵」の復元工事中でした。

六合村でのビエンナーレとはどんなものかしら?・・・と歩いてゆくと、「ホタルの小径」という案内があり、



こんな休憩所がみえましたが、願い事をして山の中を歩くそうなので、今回はパスし、メインの湯本家住宅へ向かいました。



この建物は、1階2階が1806年に、3階が1897年に養蚕用に建造された土蔵造りで、2階には、江戸幕府から追われた幕末の蘭学者、高野長英を匿った「長英の間」が残されています。

今回私が訪れたかったのは、この2階に展示されている馬場恵さんの作品です。



ということで、何とも不思議な世界が広がっていました。



レース模様かと見紛う植物の構造。
幾何学的美しさと神秘的なものを感じます。



どの様に製作されているのか分かりませんが、植物だけの展示なのに生命のおどろしさをも感じ、魅入られてしまいました。



漢方の薬効等が絵図と共に展示され、不思議な世界に入り込んだ様でした。

3階には、



この様な展示作品がありました。

ビエンナーレでは、各々勝手に好きなイメージを膨らませ、楽しめるのが何より嬉しい世界です。

村の所々にこんな可愛らしい風鈴が飾られています。



これは全て、白根開善学校の生徒の作品だそうで、造りも全部違うそうです。
所々で見かけるこんな風景が味わい深い雰囲気を作り出しているように思いました。

赤岩公民館には・・・



こんな作品が展示されていましたが、何と全てが「卵の殻」との事。
20年分の卵の殻を集めたそうですが、どの様に保存したのでしょう?
何だか楽しくなります。

六合村を歩いていると、不思議な植物を良く見かけます。



葉鶏頭の変種の様な・・・巨大化した植物が多いようですが、何だかこれも「作品」に見えてきてしまいました。

六合村は狭いエリアなので、歩いて楽に回れました。
これから「沢渡・暮坂エリア」へ向かいます。  


Posted by ruriri at 18:48Comments(0)日記

2015年09月27日

銀座・松屋「ムーミンフェア」

サントリー美術館見学後、少し時間があったので、銀座・松屋での「ムーミンフェア」を覗いてみました。



大きな絵本が設置され、絵をバックに写真撮影も可能、更に抽選で、撮影大会での特別撮影まで企画され、大賑わいでした。

会場内にはこんな椅子も設置されていましたが、



お孫さん連れのお年寄りが座っていると、若い女性がカメラを構えるので、仕方なく席を立つ光景も見られました。

ムーミングッズは今までにも多数ありましたが、今回はマニア向けのレア商品が展示されているのが特徴の様でした。





この様なイヤープレートはかなり高価でしたが、収集家は多いのでしょうね。

私は細やかな品々に囲まれているだけで幸せですが・・・。



こんなスタンドもあり、立ち寄ろうと思ったのですが、買い物のレジに時間がかかった上、お隣の「北欧フェア」まで覗いていたので時間がなくなり、そのまま帰途に着きました。(北欧フェアの方は空いていました)

自分の事は棚に上げて、ムーミン人気はすごいですね!  


Posted by ruriri at 16:57Comments(4)日記

2015年09月25日

国宝「曜変天目茶碗」

明治の実業家・藤田傳三郎、長男平太郎、次男徳次郎の二代三人による収蔵品を一般公開するため昭和29年(1954)大阪市に開館した「藤田美術館」の久し振りの館外公開展となる企画展を見に、サントリー美術館を訪れました。
その収蔵品は、9件の国宝、52件の重要文化財を含む2,111件にのぼり、その内訳は、仏教美術、茶道具、絵画、墨跡、漆工、金工、染織等多岐に渡り、質的にも充実しているとされています。

20代後半に明治維新を迎えた藤田傳三郎は、商工業に従事、関西屈指の実業家となりますが、政府の欧化政策による廃仏毀釈等により仏教美術が破壊されたり、海外へ散逸していく危機に際して、私財を投じて文化財の保護に努めたそうです。

展示は今回5つに分かれていますが、藤田家の古美術への造詣の深さに驚かされます。

今回特に注目されたのは「曜変天目茶碗」で、日本に三点のみ存在しその全てが国宝であり、それ以外には世界中にも存在しません。
残り2点は、静嘉堂文庫美術館と大徳寺塔頭の龍光院に伝わるものです。
この中で藤田美術館の曜変天目は、瑠璃色の斑紋が内側だけでなく外側にも出ている唯一のもので、その美しさは何とも神秘的としか言いようがありません。



「曜変天目茶碗」は現在の中国福建省建陽市にあった「建窯」で南宋時代の一時期、数える程僅かに焼かれ、それ以後二度と焼かれることはなかったそうです。それに、現存している曜変天目三点が全て日本にあることも(割れ欠けている物は発見されている)不思議です。

この「曜変」ですが、本来は「窯変」と表記され、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指しますが、その星の様な紋様・美しさから、
「星の瞬き、輝き」を意味する「曜」の字が当てられるようになったそうです。
1953年に小山富士夫と山崎一雄による論文「曜目の研究」において科学的に曜変天目の分析が成されて以降、その復元が試みられてきましたが、焼成のメカニズムの完全な解明や、実物と同様の光彩や斑紋の再現は難しく、実現されないままです。

今回、この曜変天目茶碗を見られただけでも光栄な所、藤田美術館でもこれだけの収蔵品を一気に見られることは不可能と言われる程の規模の展示を拝見出来、嬉しい限りでした。

今回の企画展は9月27日(日)までです  


Posted by ruriri at 16:48Comments(0)日記

2015年09月23日

明治大学錯覚美術館

一度訪れてみたいと思っていた美術館ですが、漸く機会が訪れました。
神田淡路町にあるビルに入っていて、毎週土曜日のみ、10時~5時まで開館しています。



入口には、



とあり、



との説明があり、「数値に落とすことで錯覚をコントロールしたり予測できたりすることで、見落としがちな標識を目立たせて交通事故を減らしたり、周りの風景に溶け込みやすい広告を浮かせるように見せる、既存の表現を超えた技術を生み出す可能性の秘められた研究プロジェクトの発表の場」とのことで、既存の「トリックアート美術館」とは異なり、エンターテインメント性は少ないものの、その仕組みがとても興味深い施設です。
館内へ足を踏み入れると、杉原厚吉教授作の「なんでも吸引四方向すべり台」がありました。



どの斜面に置いた玉も重力に逆らって中央の高いところへ転がりながら登ってゆくように見えます。
実はこの立体の斜面は中央が一番低くなっています。
この作品は、写真にも一部見える様に、「世界錯視コンテスト」で最優秀賞を受賞した作品です。

この他にも杉原教授は沢山の「不可能立体」製作者で、



エッシャーのだまし絵の世界を立体にしてしまう魔法使いの様な方です。
不可能立体ギャラリーの作品は数え切れない程で、「奥行ギャップ」、「曲面のトリック」、「非直角のトリック」等、更に進化を遂げています。



下は、鏡に映すと姿がまったく変わって見える「変身立体」のガレージの屋根です。



錯覚は日常生活にも大きく関わりを持っています。



こちらは緩やかな上り坂なのですが、下り坂に見えてしまう為、場所によっては自然渋滞が起きたりするそうです。

光の当て具合により、矢印が浮き上がったり凹んだりもします。



下のコマを回すと、物理的には無い色錯視が現れます。



(物理的にはありえない色が現れる組み合わせはこの3つのコマの内の一つだけでしたが、どれだったか忘れました。又この錯視が現れる仕組みはまだ解明されていないそうです。)



こちらの絵は、中央の点を見つめているとうさぎが回転し始めます。

他にも様々な錯覚が体験出来、時の経つのをのを忘れてしまいます。

残念ながら、この研究プロジェクトは今年度で終了されるため、この美術館開館は12月26日までです。
今後もこの様なプロジェクトが再開されることを期待しています。
  


Posted by ruriri at 17:40Comments(2)日記

2015年09月18日

尻焼温泉と軽井沢でのBBQ

野反湖ハイキングの後は、これも恒例の「日帰り温泉」へ立ち寄りました。
今回は、野反湖から長野原へ向かう途中にある「尻焼温泉」の「関晴館」という所で、露天風呂が楽しめました。



この所の雨で川の水が増水しているそうで、迫力のある水音を聞きながらの入浴タイムで、



訪れる人も少なく、ゆっくり温泉を楽しめ、疲れも癒されました。



軽井沢へ到着すると、既にBBQは始められていて、本日のメインの「ローストビーフ」は焼き上がりを待つばかりでした。
肉は今回、オーストラリア産の「キューブロール」という部位で、アメリカ産の「リブロース」にあたるそうです。

友人が自宅で2回程試作し、2回共に失敗した!という「労作」が程なく完成。
素晴らしい仕上がりでした!



4.7kgの肉を炭火で焼くので、中心部の温度を保つのがかなり難しい様ですが、3度目の正直!とても美味しく焼き上がり、大好評でしたが、流石に全部は食べきれず、お土産になりました。

野菜も直焼き、特にとうもろこしが美味しかったです。
(因みに、カナダ産マツタケもワンパック用意され、みんなで分けましたが、取り敢えずマツタケの香りを味わいました)



色々用意してくれるのですが、見た目をあまり気にしないグループなので、テーブルの上が汚く、写真に写せませんでした。
それでも、今回は「たこ焼き」も登場していましたので何とか写してみました。



何といっても、何もせず座っていて食べさせもらえるありがたさは最高です。
その上、片付けも無し!です。

翌朝も、座ると各自に「モーニングセット」が用意されます。



友人自作のベーコンと、オムレツ得意の方の合作で、とても食べきれませんが何とも優雅な気分です。
今回も友人の息子さんが大活躍!で、贅沢な時間を楽しませて頂きました。

帰り、名古屋から参加された方が、「千ヶ滝を見たい」とのことで、立ち寄りましたが、私は流石に昨日の疲れが残っていたので、途中でギブアップして駐車場で待機していました。



辺りはすっかり秋の気配で、ミズヒキソウが溢れ、サラシナショウマが満開。蝶が群がっていました。



キノコも沢山みかけられました。





秋の気配を感じながらの軽井沢を満喫して帰宅。
再び雨に振り込められてしまいました。  


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2015年09月16日

野反湖ハイキング

今年も友人達と軽井沢でBBQを囲むことになり、その前の恒例になったハイキングに参加しました。
今回は体調も悪く、体力も落ちてしまっていたので参加出来ないと諦めていたのですが、友人の「登り30分、その後は湖畔の散策程度」という言葉を頼りに、思い切って参加してみました。
当日は雨の切れ目の、それ程暑くもなく、風も無い絶好の日和でした。
10時に中之条駅に集合。



9月12日だったので、丁度「中之条ビエンナーレ」の始まる日で、沢山の観光客が集まっていました。
少し早めに着いたので、ビエンナーレのパスポートとガイドブックを駅前の「通運ビル」で購入しました。



ビルは既に飾り付けされ、お店もオープンしていました。

ここから車で1時間程で野反湖到着です。



雲が多くなり、見晴らしはあまり良くありませんでしたが、乾いた空気を肌に感じながら湖畔を歩き始めました。



野反湖周辺は山野草の宝庫で、ミヤマリンドウ、



マツムシソウ、



ゲンノショウコ、



トリカブトに似ているハクバブシ、



等の青い花々が美しいです。

ミヤマリンドウと間違えそうな、「オヤマリンドウ」も見かけられました。



茎頂部のみに花が付き、少し色が浅めです。

約束通り(?)30分程で標高1653mの弁天山山頂にて休憩、昼食となりました。



遠く草津の町が見え、爽やかな風に吹かれてのんびり休憩、ここからは下って湖畔散策しました。

ウメバチソウの可憐な花



せり科の「シラネセンキュウ」



シラタマノキの白、



の中で、真っ赤なナナカマドはやはり鮮やかです。



実は少し控えめですが、葉が目立つ「オオカメノキ」



フジバカマも咲いていました。



キノコも沢山見かけられましたが、名前が分からず・・・
唯一特定出来たのは「ホコリタケ」でした。



すぐ横に胞子を飛ばし終わったキノコが見られたので直ぐにわかりました。

こんな鮮やかな黄色いキノコもいたのですが・・・



秋の山野草の咲きそろう道は



こんな感じで、久し振りに山の空気に触れる事が出来、気分爽快でした。

少し歩くと汗ばみ、立ち止まると涼しい・・・程の気候で、この後、「日帰り温泉」で汗を流して軽井沢へ向かいました。  


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2015年09月08日

沼田城

先日の新聞で沼田城の本丸堀発掘作業開始の記事を見つけ、春に訪れた折の写真を整理してみました。

訪れたのは4月30日でしたが、既に発掘作業があちこちで見かけられ、今後が楽しみだな・・・と思っていたのですが、来年のNHK大河ドラマ「真田丸」の放送決定を受け、本丸堀の本格的な発掘調査が開始されたそうです。
前回の発掘調査は18年前で、幅1mの僅かな部分でしたが今回は面積で300平方メートルと広範囲になりました。

沼田城は1532年(天文元年)沼田顕泰により築城され、1580年(天正8年)に真田昌幸が入城し規模を広げ1590年(天正18年)に長男信幸が沼田領二万七千石の初代城主となり、慶長2年には五層の天守閣が建造され、関東においては特別な城でしたが、江戸幕府により1682年廃城となりました。

当時の貴重な絵図が残されています。



「高さ三間」と言われる本丸堀は4月時点でもかなり丁寧に掘り起こされているようでしたが、一部はテニスコート場になっていたりします。



城内には復元された立派な鐘楼が建てられ、



この様な説明がありました。



まだ発掘作業中なので、案内板、解説等が行き届かない様ですが、静かに城内を散策出来、「真田家」へと思いを馳せることができました。

散策中の近所の方に色々教えていただき、こんなスポットを見つけました。



有名な「御殿桜」の一番美しい撮影スポットだそうです。



発掘調査は9月中旬まで続けられ、その後は埋め戻さず、フェンス越しに見学出来るようにするそうです。

整備された後に又訪れてみたいと思っています。

沼田城周辺は公園として整備されていますが、すぐお隣の沼田小学校には「大手門」が見られ、



公園内には最後の沼田藩主土岐家の子孫の子爵が東京渋谷に建てたドイツ別荘風建物の「旧土岐家住宅洋館」が移築され、



又、東日本最古の町家造りで17c末期のものと言われる沼田藩御用達の薬種商住宅が市街地から移築され一般公開されています。



残念ながら訪れた日には閉館で見学出来ませんでした。
次回を楽しみにしています。  


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2015年09月05日

秋の実りと七草

日差しは時に厳しく、夏の名残を感じますが、朝夕はすっかり秋の風情で過ごしやすいこの頃です。
庭では「サルナシ」が実を付け、熟成が待ち遠しいです。



いつの間にかアケビも膨らんでいました。



久し振りにお散歩に出ると、



食べられませんが、「ヤマボウシ」の実が真っ赤に色づいていました。

道端には秋の七草がちらほら見かけられ、(クズ)



萩、ススキ、クズ、なでしこ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ、の内、見かけなかったのは「フジバカマ」だけでした。



「オミナエシ」も黄色い花が少なくなるこの時期、かなり目立ちます。

これから本格的な実りの秋を迎え、嬉しいけれど大変な収穫作業に追われます。  


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2015年09月01日

ムーミングッズ

この所漸く秋めいて過ごしやすくなりましたが、私の体調は悪いままで息絶え絶えの状態で過ごしていましたが、友人が心配して、「必ず元気が出る物を見つけた」とのことで送ってくれました。



「ムーミンアロマライト」です。
私も初めて見るもので大感激!
ライト部分にアロマオイルと水を入れ点灯するとミストが辺りに漂い、ムーミンキャラクターが浮かび上がります。



光の角度により色が変わって見えたりもします。



何だかすっかり元気になったつもりになりました。(単純な性格なので・・・)

最近気に入っていたグッズは、



小さいものですが、左は石鹸、右はカレンダーです。
石鹸は勿論もったいなくて使えませんが・・・。

家中のムーミングッズに囲まれ、少しづつ回復しています。
やはり「病は気から」でしょうか?  


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2015年08月23日

軽井沢・「旧スイス公使館深山荘」公開シンポジウム

友人を案内する為軽井沢へ下見に行った折、偶然「旧スイス公使館・深山荘の謎を解く」というパンフレットを見つけ、シンポジウムに参加してみることにしました。
これは昨年、スイスとの国交樹立150年を記念して多くの記念事業が行われ、両国の有志による「日瑞(スイス)研究集会組織委員会」が結成されたことによる「第一回学術交流ワークショップ」として今回企画されました。



「深山荘」は旧三笠ホテルの向かい側にあります。
昭和初期、東京在住の土木建築請負業家の前田栄次郎が、別荘ブームの浸透していった昭和8年から軽井沢でも別荘業を展開、昭和12年の「軽井沢町前田郷別荘地平面図」よると、この頃には前田郷最大の深山荘は完成していたようです。
敷地内にはテニスコート、ブランコ、等の遊具の他、ビリヤード、砂場等、子供から大人まで楽しめる様意図されていました。
又、前田郷の他の貸別荘は一戸建て形式ですが、深山荘だけが大きい規模で、和洋の個室からなる共同使用型の貸別荘であり、資料にも「軽井沢貸別荘{アパートメント}洋館」と記されています。
当時、東京でもモダンな都市型住宅として流行していたアパートメントを軽井沢でも直ぐに導入しようと試みたことが伺えます。
建物は、ホール(中央部分の高い屋根部分)を挟んで、片廊下ゾーンと中廊下ゾーンになり、片廊下ゾーンは8畳の広さの洋室で広いベランダを持つ5室からなり、中廊下ゾーンは中廊下を挟んで左右に6畳の広さの和室と洋室がそれぞれ5室並び、専用ベランダは無い。これは、利用者が好みに応じて選択できるようにしたものと考えられます。又、中央ホールには地下に続く階段があり、広い台所と2箇所の浴室が設けられ、共同使用の場とされていた。
外観は洋風で、一見三階建に見えますが、中央は先の説明の様に吹き抜けで、玄関口からは二階建てに見えます。



奥の二階部分がホールです。

今回の企画では、午前中に解説付き見学会が4回あり、午後からシンポジウムという流れでした。

建物内の見学は、予想以上の見学者に、主催者が戸惑い、資料が足りなくなったり、声が聞こえなかったり・・・と多少混乱がありました。



こちらは6疊の普通の和室です。



ホールには地下への階段があり、



オーブン付きキッチンがありました。



これは洋室のベランダの下ですが、簡単に足をつけて支えているだけのものでした。



庭でこんなきのこを見つけましたが、



名前は分かりません。

通りを挟んで「旧三笠ホテル」があります。



午後2時からは、軽井沢町、筑波大学、スイス大使館等の共催によるワークショップが催されました。



午前中の解説もあまりよく聞こえなかったり・・・で、殆ど情報の無いまま参加し、「何が謎なの?」という程度でしたが、次第に「謎」が浮かび上がり、第二次世界大戦、ポツダム宣言、「イミュニテカルイザワ(軽井沢を爆撃するな)」というキーワードも現れ、全く思わぬ方へ流れてゆきました。特にスイス大使であったカミーユ・ゴルジェ氏と日本との関係はとても興味深く、今後の研究が楽しみです。
スイスという国は、自然豊かで親しみを持っていましたが、意外に遠い国であることを今回感じました。

又、戦時中の軽井沢はどの様に戦争と関わっていたのか?
これから解き明かされてゆくことと思いますが、日瑞交流ワークショップの今後の発展に期待したいと思います。  


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2015年08月21日

「武井武雄の世界展」と自然史博物館

先日、時間切れで見きれなかった自然史博物館の展示と、博物館向かいの「福沢一郎記念美術館」での[武井武雄の世界展]を見に行ってきました。
自然史博物館の方は、気付いたらまだ常設展の半ば位で、今回は気合を入れて(?)、群馬の自然と環境の「尾瀬シアター」から出発、2Fの企画展も総て見終わりました。
何故こんなに時間がかかるか・・・というと、私には素朴な疑問があるからです。小学生ではないのだから・・・と思いつつも、「時代を特定できるのは何故か?」とても不思議に思えます。勿論、測定法は様々紹介されていてるのですが、それがどの様になされるのか?、誤差は?と気になりさっさと先へ進めません。





と書かれていてもイメージがつかめません。
何とも融通のきかないことこの上無く、時間ばかり掛かってしまいますが、何時かイメージがつかめることを期待しています。
でも何とか2Fの企画展示コーナーへたどり着くと、「ダーウィンの部屋」というのがあり、



人形が何ともリアルに手を動かしながら喋っていました。
体の動きは、近年とても精密になりつつあるようで、手の筋肉の動きまでが滑らかに再現されていました。
展示内容とは関係ありませんが、何だかとても感心してしまいました。
人気恐竜の「ティラノサウルス」の模型も、小さな目の動きがリアルで、見入ってしまいました。



こんな姿勢なので、時間はかかりましたが、充分楽しめました。
そう言えば、入口に、「入館者2万人突破」という旗が挙げられていて、人気の程が窺えました。

この後、「武井武雄の世界展」へ回りました。



「武井武雄」との出会いは、茅ヶ崎で「絲杉」開業時、ご縁があり、お店で小さな武井さんの展示会を開かせて頂いてからで、すっかりその魅力に惹かれました。
武井は(1894~1983年)大正から昭和にかけて「コドモノクニ」、「キンダーブック」等の子供向け雑誌に童画を発表、活躍した作家です。



撮影禁止なので、写真はパンフレット及びポスターのみですが、今回の展示では特に、彼のデザイン性に興味を持ちました。
素晴らしかったのは、139点「本の宝石」達で、企画、材料、デザイン、製本、総てが手作りという、豪華この上ない本の数々です。
中には、「パピルス抄紙本」の様に、種から育て、紙に漉き(一日3枚しか漉けないそうです)、4年懸りで作られた本、ゴブラン織りの本、螺鈿の本、寄木細工の本等、宝物の様な本が並べられていました。
これらは1929(昭和4年)~1935(昭和10年)に刊行され、予約希望者に原価で配られたそうです。
今回は時代を追って沢山の作品が見られたので、改めてその創造性の豊かさに目覚まされた思いです。



こんなレトロな作品にも品格が伺えます。

こんな身近に素晴らしい作品の数々に出会えたことは嬉しい限りです。

武井武雄展は9月6日までです。

浮世絵展も同時開催されています。  


Posted by ruriri at 17:55Comments(2)日記

2015年08月19日

タラノキの花

8月初め庭を歩いていると、一本のタラノキに花を付けているのを見つけました。
何しろ“食いしん坊”の私なので、先ず考えたのは、「若芽が美味しいのだから花も美味しいのでは・・・」ということで、写真も撮らずに刈り取ってしまいました!



花なら当然食べられると思ったのですが、そう言えば今まで「タラの花」のレシピは見たことも聞いたことも無く、ネットにも見当たりませんでした。でも、実際に確かめてみなければ納得いかないので、柔らかそうな芽と共に天ぷらにしてみました。



やはり!芽は香りはなく、一応食べられたものの全く美味しくありませんでしたし、花に至っては、苦味も強く、香りも無く、エグ味があって食べられませんでした。
これだけ長い間「春の香り」として親しまれ、珍重されてきただけに、食べられるものならば当然語り伝えられていたことでしょう。
でも、何故か私は自分で確かめないと気が済まないので、可能な限り味見してみています。
毒のあるものもあるので、友人からは気を付けるよう注意されてはいるのですが・・・。
植物の香りは本当に不思議です。若芽に香りがあったり、花に集中したり、根っこだったり茎だったり、実だったり・・・。
やはり確認しないと納得できませんね!
因みに、花を付けたタラノキは15~16本の中で一本だけでした。  


Posted by ruriri at 17:47Comments(4)日記