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2015年09月25日

国宝「曜変天目茶碗」

明治の実業家・藤田傳三郎、長男平太郎、次男徳次郎の二代三人による収蔵品を一般公開するため昭和29年(1954)大阪市に開館した「藤田美術館」の久し振りの館外公開展となる企画展を見に、サントリー美術館を訪れました。
その収蔵品は、9件の国宝、52件の重要文化財を含む2,111件にのぼり、その内訳は、仏教美術、茶道具、絵画、墨跡、漆工、金工、染織等多岐に渡り、質的にも充実しているとされています。

20代後半に明治維新を迎えた藤田傳三郎は、商工業に従事、関西屈指の実業家となりますが、政府の欧化政策による廃仏毀釈等により仏教美術が破壊されたり、海外へ散逸していく危機に際して、私財を投じて文化財の保護に努めたそうです。

展示は今回5つに分かれていますが、藤田家の古美術への造詣の深さに驚かされます。

今回特に注目されたのは「曜変天目茶碗」で、日本に三点のみ存在しその全てが国宝であり、それ以外には世界中にも存在しません。
残り2点は、静嘉堂文庫美術館と大徳寺塔頭の龍光院に伝わるものです。
この中で藤田美術館の曜変天目は、瑠璃色の斑紋が内側だけでなく外側にも出ている唯一のもので、その美しさは何とも神秘的としか言いようがありません。

国宝「曜変天目茶碗」

「曜変天目茶碗」は現在の中国福建省建陽市にあった「建窯」で南宋時代の一時期、数える程僅かに焼かれ、それ以後二度と焼かれることはなかったそうです。それに、現存している曜変天目三点が全て日本にあることも(割れ欠けている物は発見されている)不思議です。

この「曜変」ですが、本来は「窯変」と表記され、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指しますが、その星の様な紋様・美しさから、
「星の瞬き、輝き」を意味する「曜」の字が当てられるようになったそうです。
1953年に小山富士夫と山崎一雄による論文「曜目の研究」において科学的に曜変天目の分析が成されて以降、その復元が試みられてきましたが、焼成のメカニズムの完全な解明や、実物と同様の光彩や斑紋の再現は難しく、実現されないままです。

今回、この曜変天目茶碗を見られただけでも光栄な所、藤田美術館でもこれだけの収蔵品を一気に見られることは不可能と言われる程の規模の展示を拝見出来、嬉しい限りでした。

今回の企画展は9月27日(日)までです



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Posted by ruriri at 16:48│Comments(0)日記
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