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2015年07月01日

フィンランドの画家「ヘレン・シャルフベック」

「北欧の作家たち」の後、東京芸術大学美術館で開催中のフィンランドの女性画家「ヘレン・シャルフベック展」へ足を運びました。

フィンランドの画家「ヘレン・シャルフベック」

初めは“フィンランドの画家”というだけで興味を持ったのですが、調べてみると、印象的な作品が目に付き、是非見てみたいと思い、同じ様に興味を持った友人共々出掛けました。
上のポスターの左は28歳の時の写真で、右は33歳の時の自画像です。

彼女は1862年にヘルシンキで生まれ、3才の時、階段から落ちて足を不自由にし、その後生涯に渡り杖を手放せなくなりました。
小学校へも通えませんでしたが、家庭教師に絵の才能を見出され、11才でフィンランド芸術協会素描学校に入学を許可されます。
その後、奨学金を得て憧れのパリに渡り、マネ、セザンヌ、ホイッスラー等から強い影響を受け、サロンにも出品、画家としてのスタートを切りました。
彼女はノルウェーの画家「エドゥアルド・ムンク」とほぼ同年代(ムンクは1863年~1944年)、パリ留学は、シャルフベックが1880年頃からで、ムンクは少し遅く、1889年からです。(どちらも奨学金を得ての留学でした)
全くの個人的見解ですが、二人の作家の背景にそれぞれの国の風景が伺えると同時にどこか繋がりを感じてしまいました。

パリ留学時にはイギリス人画家との婚約の一方的破棄による苦悩の中からはこんな繊細で直向きな作品も描かれています。

フィンランドの画家「ヘレン・シャルフベック」

パリ留学後はフィンランド芸術協会の依頼を受け、1889年~94年にかけてウィーン、サンクトペテルブルク、フィレンツェを旅し、古典絵画を模写し、大きな影響を受けた様です。
その後はフィンランドへ戻り、ヘルシンキから50キロ離れたヒュヴィンカーで母と共に過ごし、パリでの美術体験を熟成させてゆきます。

彼女は多くの自画像を残していますが、19才年下の画家との失恋を経て、自画像は魂の叫びの様な表現になってゆきます。

特に、第二次世界大戦が激しくなり、最晩年を過ごしたスウェーデンのサルトショーバーデンでの自画像群は魂そのものの様で胸に迫ります。
目を逸らす事なく自己を見つめる過酷なばかりの眼差しに彼女の強い意思が感じられます。
ここで彼女は20点以上の自画像を生み出し生涯を閉じましたが、その人生を貫いていた意思の強さはポスターの写真(28歳頃)にも伺れ、「貴方は誰?」と問い詰める様な眼差しの強さにたじろぎます。
又、ポスター右の自画像の一見他者を拒絶するような眼差しに深くて透明な意思を感じます。

一人の女性の透徹した視線による魂の表現に深く心動かされ、ここまで自分を最後の最後まで冷静に見つめることは難しいにしても、常に自分を客観視できる心の目を失いたくないとの思いを強くしました。

開催期間は7月26日までです。



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Posted by ruriri at 15:44│Comments(0)日記
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