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2014年05月09日

足尾銅山

足尾銅山観光の最寄駅は「足尾駅」ではなく「通洞駅」です。
駅前には足尾町に古くから残る「足尾の四季」という歌の銅版が掛けられ、銅山まではほんの数分です。

足尾銅山

坑道内観光へはほんの数分ですが、トロッコ列車で向かい、銅山観光の雰囲気が味わえます。

足尾銅山

列車の通路脇にある「鋳銭座」(資料館)の外には大きな「寛永通宝」の銅銭が掛けられていました。

足尾銅山

「寛永通宝」(一文銭)は江戸末期まで作られていましたが、足尾で作られたものには裏に「足」の字が刻まれ、「足字銭」と呼ばれたそうです。

洞内はこんな感じで、ジメジメとして暗くてヒンヤリ・・・一日中この環境で過ごすのは耐え難いです。

足尾銅山

下車駅名の「通洞坑」は足尾銅山の中でもメインの坑道で6.5キロ程あるそうです。

足尾銅山

坑道内は、江戸時代、明治・大正時代・昭和、と時代区分され、人形を使って当時の様子が解り易く展示されていました。(坑道内は暗いためかなりリアルで驚きます)

足尾銅山

所々で鉱石が露出し、青く光っていたり、銅の析出も見られ、銅山の環境が想像されました。

足尾銅山

因みに、「緑青」は猛毒とされてきましたが、1962年天然緑青を動物に経口投与する実験で「他の金属と比較して毒性は大差無い」とされ、その後の実験でも同様の結論に至り成長、生存、妊娠、出産、等に影響する遺伝的障害も見られないことが証明されました。
厚生省はその後も研究班を設け実験を繰り返し、「強い毒性は考えられない」という結論に至ったそうですが、ここまで執拗に研究がなされた背景には、教科書で猛毒と書かれ、多くの人々に「緑青は怖いもの」という印象が植えつけられたことによるのではないでしょうか?
この説明を見た方は殆ど「へぇ〜緑青ってもうどくじゃないの!」という反応でした。

足尾銅山の歴史は400年以上に及び、「日本一の鉱都」ともいわれ、資料館には鉱石の見本、選鉱・製錬の過程が解りやすく展示され坑道内の近代化の様子も窺え、1973年(昭和48年)の閉山までが概観できます。

足尾銅山

一つ残念だったのは、「足尾鉱毒事件」(昭和24年、田中正造の国会発言で大きな政治問題となる)に全く触れられていないことです。
昨年は田中正造生誕100年だったこともあり、取り上げられても良いのでは・・・と思います。
精錬所は閉山後の1980年まで操業され、1981年、足尾町では排水から基準値の2倍の銅が検出されたという記述、2011年の東北地方太平洋沖地震の際は源五郎沢堆積場が決壊、鉱毒汚染物質が再度渡良瀬川に流下、下流の農業用水取水地点では基準値を超える鉛が検出され、現在でもその影響が消えていないことを思うと、負の遺産もしっかり残さなくてはいけないのではないでしょうか。




















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Posted by ruriri at 19:19│Comments(0)日記
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