2013年10月01日
中之条ビエンナーレ「伊参(いさま)エリア」
伊参エリアへは道の駅「霊山たけやま」から巡ることにしました。
見るからに「信仰の山」といった雰囲気です。
「嵩山」は、789mの独立した山で、死者のの霊が山の上に集まる神聖な「霊山」として、吾妻盆地の各地から信仰を集めました。又、この山には神がいて春には里に降り、田畑の神となって実りを与えるとされました。
縄文時代の遺跡も多く、「嵩山の神和利大明神として子持山の神を妻とし、鳥頭明神を子供として吾妻地方の中心的な神となった」と(神道集)に記されています。
そんな雰囲気を特徴的に表しているのが、
巨大な「親都(ちかと)のケヤキ」です。
辺りを圧倒するような異様ですが、そんな樹の下の神社には、
こんな石のオブジェがおかれ、製作者が熱心に石を磨いていました。
確かに、磨いた石は輝くように光り、雰囲気が変わりますが、黙々とタオルで拭いている作者の姿には、自然の中の風景として溶け込んでいるものがあります。
「どうぞ触って下さい」と言いながら、ひたすら磨いています。解説もなく・・・
こんな所に、中之条ビエンナーレの姿勢が感じられ、大樹を見上げながら何となく石を触って心地よくなってしまいました。
ここから「あがつま倉庫」、「伊参スタジオ」(小栗康平監督の“眠る男”の撮影されたスタジオで、展示メインも映画中心で、岩波ホールで見たことを懐かしく思い出しました)、「岩本上(かみ)古民家」、「やませ」、「岩本稚蚕飼育所」、「岩本上組(かみぐみ)集会所」、と回りましたが、実は手違いで、伊参スタジオ以降の写真をなくしてしまい、ブログにはしないつもりでいたのですが、一つだけ、どうしても紹介したい展示があり、写真無しで載せることにしました。
ご紹介したかったのは、「やませ」での展示です。
町の重要文化財に指定されている「神保家」、通称「やませ」で、材木問屋を営み、江戸の大火の時に多くの材木を江戸まで卸し、財をなしたといわれています。160年前に建てられた県内最大級の民家である母屋には、太さ90cmを超える巨大な柱が天井に横たわり、この家を支えてきた歴史の重みを感じます。
ここの座敷に、ビニール袋に水を入れたものが凡そ3000個程吊るされ、部屋にはきちっと綴じられた紙に赤いしおりが付いていました。そのしおりは、次第に薄くなっていって白くなり、最後には何も付されていません。
「赤いしおりは何かしら?」と話していると、作者の方が近くへ来て、説明してくださいました。
紙は「赤紙」、戦争時の「召集令状」と同じ作りの紙で、赤の色は、戦争の激化と共に物資が不足し、赤の染料もなくなってゆき、最後は「白紙」だったそうです。
この紙の一枚一枚にどんな思いがあったのでしょうか。
親戚に、薄い赤紙が届いた家があったのを思い出し、この展示の制作を思いつかれたそうです。
水の袋も3000個、綴じられた紙も3000枚で、中之条町の凡その人口だそうです。
何人かで手分けして数日かかったそうですが、何を表しているのでしょうか。
見た方が自由に感じて下さればそれで良いのでは・・・ということでした。
勿論、説明を聞かなければ、単に"涼しそう”とか、"面白い”で終わってしまうのでしょうが、どこかで何かを見たとき、「そういえば中之条であんなものを見たな・・・」と思い出していただければ、制作者の意図は伝わっているのかもしれません・・・とのことでした。
こんな一面にも振れ、中之条ビエンナーレに更に興味を覚え、他エリアへも足を運んでみたくなりました。
見るからに「信仰の山」といった雰囲気です。
「嵩山」は、789mの独立した山で、死者のの霊が山の上に集まる神聖な「霊山」として、吾妻盆地の各地から信仰を集めました。又、この山には神がいて春には里に降り、田畑の神となって実りを与えるとされました。
縄文時代の遺跡も多く、「嵩山の神和利大明神として子持山の神を妻とし、鳥頭明神を子供として吾妻地方の中心的な神となった」と(神道集)に記されています。
そんな雰囲気を特徴的に表しているのが、
巨大な「親都(ちかと)のケヤキ」です。
辺りを圧倒するような異様ですが、そんな樹の下の神社には、
こんな石のオブジェがおかれ、製作者が熱心に石を磨いていました。
確かに、磨いた石は輝くように光り、雰囲気が変わりますが、黙々とタオルで拭いている作者の姿には、自然の中の風景として溶け込んでいるものがあります。
「どうぞ触って下さい」と言いながら、ひたすら磨いています。解説もなく・・・
こんな所に、中之条ビエンナーレの姿勢が感じられ、大樹を見上げながら何となく石を触って心地よくなってしまいました。
ここから「あがつま倉庫」、「伊参スタジオ」(小栗康平監督の“眠る男”の撮影されたスタジオで、展示メインも映画中心で、岩波ホールで見たことを懐かしく思い出しました)、「岩本上(かみ)古民家」、「やませ」、「岩本稚蚕飼育所」、「岩本上組(かみぐみ)集会所」、と回りましたが、実は手違いで、伊参スタジオ以降の写真をなくしてしまい、ブログにはしないつもりでいたのですが、一つだけ、どうしても紹介したい展示があり、写真無しで載せることにしました。
ご紹介したかったのは、「やませ」での展示です。
町の重要文化財に指定されている「神保家」、通称「やませ」で、材木問屋を営み、江戸の大火の時に多くの材木を江戸まで卸し、財をなしたといわれています。160年前に建てられた県内最大級の民家である母屋には、太さ90cmを超える巨大な柱が天井に横たわり、この家を支えてきた歴史の重みを感じます。
ここの座敷に、ビニール袋に水を入れたものが凡そ3000個程吊るされ、部屋にはきちっと綴じられた紙に赤いしおりが付いていました。そのしおりは、次第に薄くなっていって白くなり、最後には何も付されていません。
「赤いしおりは何かしら?」と話していると、作者の方が近くへ来て、説明してくださいました。
紙は「赤紙」、戦争時の「召集令状」と同じ作りの紙で、赤の色は、戦争の激化と共に物資が不足し、赤の染料もなくなってゆき、最後は「白紙」だったそうです。
この紙の一枚一枚にどんな思いがあったのでしょうか。
親戚に、薄い赤紙が届いた家があったのを思い出し、この展示の制作を思いつかれたそうです。
水の袋も3000個、綴じられた紙も3000枚で、中之条町の凡その人口だそうです。
何人かで手分けして数日かかったそうですが、何を表しているのでしょうか。
見た方が自由に感じて下さればそれで良いのでは・・・ということでした。
勿論、説明を聞かなければ、単に"涼しそう”とか、"面白い”で終わってしまうのでしょうが、どこかで何かを見たとき、「そういえば中之条であんなものを見たな・・・」と思い出していただければ、制作者の意図は伝わっているのかもしれません・・・とのことでした。
こんな一面にも振れ、中之条ビエンナーレに更に興味を覚え、他エリアへも足を運んでみたくなりました。
Posted by ruriri at 20:16│Comments(0)
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