2012年09月17日
京都 <嵐山>散策
バスにて「嵐山」到着。90分の自由散策です。
懐かしい橋が見え、
歩き出すと、こんな石碑がありました。
何か曰くありげで、調べてみると、“小督局(こごうのつぼね)”の悲恋の物語だそうです。
「小督局」は生没年未詳ですが、「桜侍中納言藤原成範(しげのり)の娘」で、宮廷一の美人、琴の名手、といわれ、<平家物語 巻六>「小督」に登場します。高倉天皇との仲を平清盛により裂かれ、高倉天皇は21歳、小督は出家して天皇の墓の横に庵をたて、44歳で亡くなったということです。
ここから庭園で有名な「天龍寺」へむかいます。
「天龍寺」は京都五山の第一位で、「霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)」といい、不遇の中崩御された「後醍醐天皇」を慰めるため、「足利尊氏」が「夢窓国師」を開山として、嵐山を背景とする「亀山離宮」を禅寺に改めたのが始まりとされます。
「夢窓国師」は長く中絶していた中国との貿易を再開し、その利益をこの寺建立の資金とし、1343年(康永2)には七堂伽藍がほぼ整いました。この時の“造天龍寺船”による貿易事業はその後、室町時代を通じて行われました。
創建以来650余年の間、8度も兵火にかかり、現在の堂宇の多くは明治期の再建です。
「総門」を潜り境内へ。
(「総門」横には総門より立派にみえる「勅使門」があり、もと「伏見城」にあったとされ、江戸中期まで何度も火災にあっている天龍寺にあって、桃山様式をあらわす、天龍寺にとって最古の建築が見られます)
「法塔」を見ながら歩いていると
こんなユーモラスな庭がありました。
有名な「曹源池」からの眺めは美しいです。
庭を歩いていると、懐かしい花を見つけました。
「ブルーエルフィン」という名で、2,3年前育てていました。
良く見ると形が少し“不気味”ですが、色は淡くてきれいです。
芙蓉の花も咲いていて、のんびり散策。
天龍寺を後にしました。
懐かしい橋が見え、
歩き出すと、こんな石碑がありました。
何か曰くありげで、調べてみると、“小督局(こごうのつぼね)”の悲恋の物語だそうです。
「小督局」は生没年未詳ですが、「桜侍中納言藤原成範(しげのり)の娘」で、宮廷一の美人、琴の名手、といわれ、<平家物語 巻六>「小督」に登場します。高倉天皇との仲を平清盛により裂かれ、高倉天皇は21歳、小督は出家して天皇の墓の横に庵をたて、44歳で亡くなったということです。
ここから庭園で有名な「天龍寺」へむかいます。
「天龍寺」は京都五山の第一位で、「霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)」といい、不遇の中崩御された「後醍醐天皇」を慰めるため、「足利尊氏」が「夢窓国師」を開山として、嵐山を背景とする「亀山離宮」を禅寺に改めたのが始まりとされます。
「夢窓国師」は長く中絶していた中国との貿易を再開し、その利益をこの寺建立の資金とし、1343年(康永2)には七堂伽藍がほぼ整いました。この時の“造天龍寺船”による貿易事業はその後、室町時代を通じて行われました。
創建以来650余年の間、8度も兵火にかかり、現在の堂宇の多くは明治期の再建です。
「総門」を潜り境内へ。
(「総門」横には総門より立派にみえる「勅使門」があり、もと「伏見城」にあったとされ、江戸中期まで何度も火災にあっている天龍寺にあって、桃山様式をあらわす、天龍寺にとって最古の建築が見られます)
「法塔」を見ながら歩いていると
こんなユーモラスな庭がありました。
有名な「曹源池」からの眺めは美しいです。
庭を歩いていると、懐かしい花を見つけました。
「ブルーエルフィン」という名で、2,3年前育てていました。
良く見ると形が少し“不気味”ですが、色は淡くてきれいです。
芙蓉の花も咲いていて、のんびり散策。
天龍寺を後にしました。
Posted by ruriri at 13:09│Comments(0)
│日記