2012年05月02日
白井城と白井宿の八重桜
以前から一度訪れてみたかった“白井宿”へ行ってきました。(しろいじゅく)と読みます。
町の起こりは、室町時代、白井城の城下町として町割りされたことによります。“宿”となっていますが、所謂街道筋の“宿”ではなく、城下町として機能していました。
白井城の築城は不詳ですが、南北朝時代、上野国守護代、白井長尾家がこの地へ入り居城とし、周辺地域の軍事的、政治的、経済的な拠点としました。白井長尾氏は、関東管領である山内上杉家の信任が厚く、一大勢力圏を築きました。雙林寺創建や学問所開設等、<白井文化圏>を築き上げましたが、戦国時代に入り次第に衰え、上杉、武田、北条の勢力拡大の格好の的となり、攻防戦が繰り返されました。江戸時代に入り、本田康重が二万石で<白井藩>を立藩しますが、短期間に藩主が何人も代わり、元和9年(1623)白井藩は廃藩、城も破棄されました。
現在の<本丸跡>です。
平成16年、本丸部分が渋川市指定史跡となりました。
他にも<廓>、<土塁>、等の構造が可也明瞭に残り、一部石垣もみられます。
これは<空掘り>の跡です。
城内には、見頃を過ぎていましたが、“枝垂桜”が沢山植えられていました。
白井宿は廃藩に伴い、城下町としての機能を失いましたが、本丸背後が吾妻川で出来た断崖の要害の地であり、又利根川とも合流する交通の要衝であり、白井文化圏の中心でもあったため、多くの物資が集められ、独自の経済圏を広げました。
街並みは、中世の城下町の雰囲気を残し、短冊形の敷地割りに、道の中央に“堰”を通し、両側に古い家並みが続いていますが、江戸時代の三度の大火で多くが消失し、現在残っている江戸時代の建物は、(豊嶋屋)、(薬種屋)の二軒のみです。
“うだつ”がはっきりとみられます。
白井宿には堰に沿って、江戸から昭和にかけて掘られた8つの井戸があります。
井戸を掘るにあたっては、大変なご苦労があったようです。
下は、そのうちの<薬師の井戸>です。
井戸周辺には立派な石塔が置かれ、井戸を大切にされた思いが伝わってきます。
嘗て交通の要衝だったことは、こんな<道しるべ>からも伺えます。
白井宿は今、八重桜のぽっちゃりした花が満開で、観光客でいっぱいでした。
中には珍しい“ウコン桜”が4、5本あり、美しかったです。
渋川市白井宿の地図はこちらです
Posted by ruriri at 16:22│Comments(0)
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